「タブー」の扱い方

daily0 本音たち。

何かを論じる(フリをする)にあたって、
「タブーだ!これは根本的におかしい!」
「これは危ないことだけど、問題提起すべきだよね」
という、真っ二つに分かれる状態が問題だ。

この差は、
・自由のフリをして、名もなき誰かの自由を攻撃する
・名もなき誰かの自由を、外側から防御してあげる

という違いにあるんだよね。

炎上して大騒ぎになるようなタブーって、
ただの悪口に「問題提起」という商品名をつけただけであって、
実のところ問題提起でもなんでもない。
この本質は売名だと、そこかしこで言われている通りだ。

タブーを、落ち着いた立ち居振る舞いで扱うとしたら、
むしろ言葉ではなく、行動と知識の積み重ねで、
少しずつ組み上げる以外にない。

あるいは、フィクションや詩歌や絵といった作品にのせて、
多くの人が直観的に見通せるようにするのも手だ。

自由を守るためのやさしさを持つ勇気がなければ、
いくらタブーをあげつらってみようとも、
ただ立ち居振る舞いがうるさいだけでしかない。

タブーをあげつらうなら、最低でも「名前や肩書き」からも自由じゃないと、
誰かの忖度という「条件付きタブー」にもなりかねないんだよね。

うるさいだけの条件付きタブーって、本当にタブーだと言えるのかな?

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

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■遠藤武のやっていること■

・社長向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています。

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて「仕組み化とデータ分析」の見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています。
(2025年2月に60回を超え、同誌における単独連載回数の記録を更新中)

・中央経済社より、今夏に書籍発売を予定しています。

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