「自分は普通だから」と事あるごとに強調している人があるとしよう。
今までからこの先について、そう強調することで不満や悔しさを打ち消せるなら、
そのまま淡々と過ごしていれば良い。
それは一つの立派な行動戦略だ。
いっぽう、普通であることを強調しておきながら、
貧困に悩み、不満に苛まれるなら、
さっさと普通であることを捨てる以外にない。
そもそもこのとき「普通である」という根拠のない言い聞かせは、
防衛機制として自己正当化が図られているに過ぎない。
この機制に気づかないままの状況を維持するということは、
貧困のままでいるように自分で社会的に仕向けていることに他ならない。
このような危うさの構造に気づき、知識と行動で上書きし続けることが、
学ぶことや頭を使うことの本質である。
今までの学歴も職歴も、実のところ関係はない。
むしろ危うさに気づくためには、邪魔になってしまうことも数多い。
例示した「普通である」こと以外についても、
これと同様のアウトラインを自分なりに定義して見出すことができれば、
実は幾らでも学び放題+成長し放題なんだよね。