「サラリーマンか独立か」という対立自体が、
もはや昭和の遺物を扇動する古臭い手法でしかない。
新卒フリーランスという言葉が出来ていることも含め、
そもそも、所属組織や行う物事を一つに選ぶ必要はどこにもない。
どちらか二つから一つを選ぶ、選択肢の奴隷になる考え方など、
今や一切必要なくなったと明るみになったのである。
独立のメリット(とデメリット)を繰り返すいろいろな人が、
どういう収益構造で生きているかを見通せば、
「この主張の裏に、どのような自由意思と知識がどれだけあるか?」
ということくらいは、簡単に読めてしまう。
大きな物語の終焉とはリオタールの言葉だが、
「サラリーマンか独立か」という煽りは、
煽り手が作っている古臭いシナリオの押し付けでしかない。
3つの事例を並べてみよう。
(1)アフィリエイターやインフルエンサーを名乗る人が、
「サラリーマンやめて独立しろ」という煽りを繰り返している。
これは、自分のウェブ上での立ち位置や売上を有利に固めるためである。
(2)ビジネス書の文筆家を名乗る人が、
独立のメリットとデメリットを繰り返している。
これは、本のマーケティングで読者を啓蒙しつつ、
自分のポジション固めをするためである。
(3)プログラミングのコードをnoteで売りながら、
「サラリーマン(スタートアップ組織)と兼業しています」
と自然に述べる人がいる。
バランスよく肩の力が抜けて柔軟であり、売上高も公開している。
(1)と(2)の事例は、リスクとリターンとチャンスの見出し方について、
的確かつ誠実に論じておらず、ただの古臭いシナリオの押し付けでしかない。
そのために、(3)の現実解にたどり着けない。
前提知識として、最低でも的確かつ誠実に論じている本を基礎とすることが必要だが、
(1)と(2)はただのポジショントークでしかないために、古臭い本音でしか動けていないのである。
論点は、自分の自由をどうやって知識に乗せて用いるかという点しかないんだよね。
古臭さやアップデートのなさが感じられたら、その時点で独自に上書き消去するチャンスだ。