鶏口牛後は、社会的地位とお金の二面から測ると、
いとも簡単に矛盾してしまう。
社会的地位がイマイチな状態で、自由とお金だけ集まっていても、
その使いみちや立ち居振る舞いや言動は、ひどく汚らしいだけである。
鶏口にありがちな話だ。
社会的地位があっても、自由に使えるお金と時間がないなら、
我慢に我慢を重ね、座して時間の経過を待つしかない。
牛後にありがちな話だ。
よく見ると、実は鶏口でありながら牛後というように、
どちらの悪い面も持ち合わせていたりするケースが多々ある。
もちろん、両方の良い面を持っているケースもあるが、それは少数だ。
自由に過ごせる時間とお金と、
自由に過ごすための知識・知恵があって、
やっと初めて物事に「すごい!」という価値がにじみ出てくる。
「すごい!」と思える存在は、そう多くはない。
知性と行動力を通じ、孤高に畏れられながらも、打ち解けて楽しんでもらえる。
単独のものさしではどうやっても測れない、珍しい立ち位置であるほうが、面白いんだよね。
boxcox.net、遠藤武。