デジタル化やデータドリブンとは、
自然界には存在しないこしらえものである。
だからこそ、人間の自然状態(利己的な状態)をそのままあらわにして、
SNS炎上や、不祥事を巻き起こすのである。
デジタルとは、ドラえもんのような存在であり、
仲良くなればのび太にとってとても心強いが、
扱い方を誤ると目も当てられない大失敗に追いやられる、
とてもアナログな存在なのである。
デジタル化を人間が配下に置いて活用したり、
データドリブンと人間とが仲良く過ごそうとしたりと、
創意工夫をもっていくら開発しても、
炎上や不経済や不祥事を起こすことがある。
これは、悪く見られたくないとか、
あるいは良く見られたいといった、
極めて人間的なアナログ発想の本音である。
そもそもデジタル自体、
誰かがヒト・モノ・お金を投じたから出来るからこそ、
単なるこしらえものなのだが。
「情報系」という言葉が広まって久しいが、
情に報いるとは、自然の摂理の通りだ。
元々は「実情を報知する」という考え方の軍事用語として、
森鴎外がクラウゼヴィッツの『戦争論』の翻訳に際して「情報」という言葉を作ったと言われている。
「情に報いる」は漢籍のお作法では「報情」と表記することになるものの、
英単語のinformation(情報)の語源に「教える,アドバイスする」という要素があり、
教えてアドバイスするマネジメント観点において、
「情に報いる」という視点があると、
受け手も使い手も実情に寄り添いやすくなる。
よりいっそう自然に腹落ちできる形で、
「情に報いる」というこしらえものの用法があるのも、また一興だ。
的確に情報を知らせることは「情に報いる人だ」と評価されることになる。
いっぽう、すべてをデジタルで繋げてしまうという視点は、
すべてをこしらえものに変えてしまい、
内緒話すらない不自然な状態に陥る。
そうなってしまってはかえってギスギスし、
情報だけが数多く上滑りしてしまい、
お手盛りや馴れ合いや、マイクロマネジメントばかりが、ウジャウジャ増えていく。
そんな一興の余裕すらない選択肢を、わざわざ取る必要はない。
大規模なデータ分析、FP&A、スモールデータ分析、テレビCMまで関わってきているが、
人間が関わるからこそ、必ず何らかの問題が起こる。
だからこそ実情に即す余裕が必要なのであり、
事実は事実として受容することが真っ先に必要だ。
製造業を知っていれば基礎として教わる「ポカヨケ」のような、
フェイルセーフやフールプルーフが、人間の側の都合を鑑みて機能し役立つ。
そもそもだが、マーケティングもマネジメントも、
誰かが何かの意図を持って発している「仕組み」であり、
同じく「こしらえもの」である。
一度でも何らかの統制やルールのある組織で働いたことがあれば、
一発でわかることだよね。
「仕組み」でMVVを強調するのは、悲観や楽観に傾くのではなく、
前向きな疑いを持って、妄想と行動から仕組みを作る、
熱量のある立ち居振る舞いが重要なためだ。
データ分析が「妄想と行動」をカギにしていると繰り返しているが、
淡々と本音の妄想を行動に移していけばよく、
誰かに群れさせられる必要などないのだ。
そもそもだがデータドリブンが進めば進むほど、
現場のニッチな実情を知ることが全てであり、
現場の情に報いる形で未来に先回りすることが重要になってくる。
こしらえものはこしらえものだと敬意を持って認め、
自然は自然だと敬意を持って認め、
事実をありのまま認めるところからがスタートだ。
現実解。
デジタル化やデータドリブンは、
徹底するほど「アナログ的」な要素や発想を求めてくる、
こしらえものだと覚えておくといい。
特に、複数の組織や業界を当たり前のように経験し、
転職どころではなく転身を経験している実力者であれば、
新天地で情に報いることがどれだけ重要か、
仕組みをこしらえることがどれだけ重要か、
肌でわかっていることが極めて多い。
追記。
デジタルやデータドリブンは、
就職して一般的な組織の仕組みを、一次情報として得ておくことが、最低要件だと言っていい。
そうしないと得られない情報が多いという、逆転現象が起こっているのが事実だから。
追記の追記。
加えて、複数の業界の実情に通じておくといい。
疑う力や、ヨソからの視点を持ち込むことができる。
boxcox.net、遠藤武。