昨今、省庁に対する風当たりや不満が強い。
その一方、2001年まで存在した経済企画庁については、どことなく風通しの良さを感じていた。
まだ大学受験よりも前だったから、一方的なイメージもあったが。
色々とものを知ってアナリストになったあと、オペレーションズリサーチや土木計画論や会計学を通じ、
作り手の素材にもなるそれらの分野と、作り手には思えなかった経済学やエコノミストやコンサルとの断絶に懐疑を持ったのだが、
あちこちで活躍する元・経済企画庁のエコノミストたちはどこ吹く風、博覧強記で書き手や作り手になっていた事実が際立っていた。
「経済企画庁がなくなっていなかったら…」というifを想定してみよう。
過半数は私の思い込みであると思ってもらって構わないが、経済企画庁の関係者がFP&Aに気づき、今と異なる10年前倒しの広がり方をしていたのではないだろうか。
日本におけるFP&Aの萌芽は、活躍する数少ない人材を鑑みると、概ね90年代前半ごろの外資企業からスタートしている。
これは戦略コンサルティングファームや、監査法人とは、全く別個の流れだ。
現実解。
この萌芽と発達に、当時の行政改革を免れた経済企画庁や出身者の誰かが気づき、どこかでFP&Aに合流していたとしても何ら不思議ではない。
追記。
もちろん、行政改革の影響や、官公庁の縦割り意識、官民格差という行政学のトピックで照らす必要がある。
事実として、70〜90年代前半までで目立った戦略コンサルティングファームはかつて自由闊達だった割に、FP&Aはスルーしていた。
ゆえに、その「分野ごとの縦割り」の状況を超えることも、縦割りの総元締めである行政のケイパビリティも、別途考慮が必要だ。
学問分野で言えば、先述のオペレーションズリサーチや土木計画論でFP&Aはカバーできると私は認識しているが、これも縦割りの影響かFP&Aは看過されたままである。
もうひとつの現実解。
やっぱり、FP&Aは今のうちに関わるメリットが大きい。
特に外資事業会社を経て日系大手企業のCIO/CDOに転じた方が、IT部門におけるファイナンスの重要性を説く事実は、特筆に値する。

追記の追記。
経済企画庁がデジタル分野を取り込んでいた可能性はFP&Aの件よりはるかに高く、そこを経由すればほぼ自動的にFP&Aに行き着く。
ボックスコックスネット、遠藤武。