事前に設定された何らかの要求を満たすことが、
「品質が良い」ということの条件である。
(より一般的には、ISO9000:2015 – 3.6.2などを参考に出来るだろう。)
アウトプット全般の品質を考えてみよう。
ここでは、書かれた意見だとか、喋った内容だとか、
仕事ができるだとかを「アウトプット全般」と定義しておこう。
専門性や基礎知識といった価値の設定が事前にある分野なら、
・その専門性に関わる知見があるか否か
が品質の前提になる。
いっぽう、特に専門性という事前の設定がない分野であれば、
・単純作業での要求を満たせるか否か
・生きる上/知的生産する上での基礎知識を持っているか否か
・属人化された特定の技術や人柄に、投資対効果(勘定だけでなく感情をも含む)にてメリットがあるか否か
という点が品質の前提になる。
要は「知っているか否か」とか「出来るか否か」とか、
「何らかの個人芸に投資対効果(=お金に変えられる価値)が出ているか否か」
という変数が複数重なり合って、アウトプットの品質を定めているのだ。
ここでリスクとして問題になるのは、
「お金に変えられる」価値そのものが、
そのまま継続して使える品質だと未来永劫の保証などどこにもない点である。
ただ属人化されている職人技どまりなら、収入源に広がりが出てこない。
賞味期限切れが早すぎるような分野だと、収入源として疑問が残る。
特定の分野だけに依存し続けてしまうと、収入源がある日突然消えることになる。
このような相談を立場上受けることが多いが、
この解決策は、
「品質を自分からぶっ壊して、根本から再定義する」
くらいしかないのが実情だ。
少なくとも、
継続的に成長しているビジネスや人は、
自分のビジネスの潰し方を心得ており、
「潰し方と真逆を取れば潰れない」
とわかっているのである。
自分だけのポジションを得ることでも、
自分だけのポジションを深掘りすることでも、
これは共通している視点だと言っていい。
例えばレガシー産業と言われる住宅や不動産や介護が、
DX化で大きく変貌しているのは、
それだけ「放置すると、組織か人間が潰れる」という要素が多く、
ということは真逆を取れば潰れないためである。
品質管理は、極論から攻める形で、
「潰れるか潰れないか」から、
事前の設定を捉えて直してもいいのである。
現実解。
品質は、自作自演してでも、事前の設定を疑って再構築してなんぼ。
boxcox.net、遠藤武。