「誰もが表現者であらねばならぬ」
のような空気感がSNSで取り上げられるが、
そもそも表現は「ねばならぬ」という強いられた状態でするものではない。
量と質の高いインプットがない状態で、
ただアウトプットだけせっつかれても良いことはない。
現実解。
SNS断ちする人が出てきているが、
「ねばならぬ」という同調圧力にうんざりし、
同調圧力を煽るレベルの低い声をバッサリ切っているということだ。
それもそのはず、
レベルを上げて成長する営みはこの真逆で、
「超アナログに孤独にインプットとアウトプットを楽しむ」というのが、
最低限のゲームのルールだ。
追記。
外国語で議論やプレゼンしたり、
数学や数字を使いこなしたり、
読書して頭脳に投資するというのは、
個人の実力を上げることなので、
同調圧力ではさすがに無理ゲーだ。
追記の追記。
ここに独自性や新奇性という、
全体を知った上で発するメッセージが加わると、
なおさらよくわかる。
無理に情報発信するのではなく、
自分が確実に勝てて、
かつ熱中できる形を探る方が先だよ。
boxcox.net、遠藤武。