書くことそのものは素晴らしい。
が、書くことそのものを不用意に誇ると、
一発でショボくなる点に注意しよう。
リサーチアナリストをしていれば、
マーケットレポートを年間200本以上は書く。
「書くこと=市場の洞察を伝えること」
という質やインパクトのためである。
書くことそのものは誇ることではない。
これはちょうど、大学で研究者がレポートや論文を書くことと同じだ。
数を誇ることは重要だが、
それは質とインパクトを増強する試行錯誤の過程であり、
淡々と実戦でトレーニングしているだけである。
書くことそのものは手段に過ぎず、誇ることはない。
仮に書くことを誇ったり、
書くことの有無についてとやかく言い出すなら、
その人は質が低いか、誰かに操られているかのいずれかだ。
現実解。
要は文芸の話なんだよね。
文芸をベースとした創造力が足りていないと、
コンテンツマーケティングのように薄っぺらい。
そのまま歴史や古典を誤読してしまい、
赤っ恥のまま信号を一時停止せず事故を起こすのである。
お金と権力がいくらある環境でも、
あるいは学力をいくら誇れる環境でも、
文芸という「読んで考えることそのもの」は、
自分で自分を疑える人だけの財産であり、
自由に過ごすための特権なんだよ。
boxcox.net、遠藤武。