これは『踊る大捜査線』という、
90年代末期に放映され、
2010年過ぎくらいまで映画や特番が組まれた、
有名な警察ドラマのセリフだ。
結論から言おう。
どこかに一つでも「偉い」がなければ、
仕事やキャリアなどいくら頑張っても絵空事だ。
「正しいことをしたければ、偉くなれ」は、
その事実をありのまま直球でえぐり出しているのだ。
一定の偉さがないなら、誰も話など聞いてくれない。
自分の場合、ドラマのような警察官の経験は全くなく、
リサーチアナリストが最初のキャリアだったが、
「偉い」や「すごい」が大切だと痛感してばかりだった。
自分が乗り込んで相対した企業は、
日本郵船・商船三井・川崎汽船の海運大手、
常石造船や今治造船などの大手造船所、
日本銀行の調査統計局(エコノミストの部門)、
三菱商事や三井物産や丸紅などの総合商社、
資源・エネルギーの需要家である電力大手やメーカー、
みずほ銀行や三菱UFJモルガン・スタンレー証券などの金融大手、
外資証券会社、日本経済新聞や時事通信の記者など、
誰もが知っている「すごい」企業が勢揃いだった。
今でこそ、
データ分析を売りにする企業は増えているが、
そもそもどこにも「偉い」「すごい」が無く、
小粒な「自称デジタル戦略コンサル」のまま終わるケースは少なくない。
私がリサーチアナリスト当時、
技術開発を担って新規事業を立ち上げられたのは、
その組織に分析とリサーチの掛け算の歴史があり、
「偉い」「すごい」がお客様に認識されていたためだ。
そうでなければ、市場分析や統計予測の仕事など絵空事だ。
「お前に何がわかるんだ」「お前になんか言われたくない」
そう返されたら、何にもならないものね。
単に「偉くなる=時間をかけて出世する」と捉えられがちだが、
そんな模範解答通りの組織都合にとどまらない要素が、
リサーチアナリストにはあった。
今は当時よりもっと上流工程を手がけていて、
オーナー企業の経営者さんへの指南を主軸に、
当時と異なる分野の最大手企業まで相手をしており、
かつ上場出版社の専門雑誌で連載執筆も持っているが、この目線は変わらない。
ということは、このセリフは、
ビジネスでもキャリアにおいて、
とても本質的なのである。
組織であっても個人であっても、
全ての本音を超越して、
この上なく正しい。
「偉くなれ」の視点なしには、
実際には仕事が成り立たないからだ。
リサーチアナリストとは、個人技である。
個人技とは、一匹狼のことではない。
インタビュー先から顧客まで、
関係者を巻き込むチームプレイができ、
敬意を持って迎え入れられることが、
個人技の一揃えである。
これはすなわち、偉いと認められることだ。
統計モデリングや財務モデリングといった定量分析や、
新聞記事や文献調査やインタビューといった定性分析など、
「分析」ばかりがリサーチアナリストの仕事として取り沙汰されるが、
「分析」の大前提には、
関係者の本音を拾い集めて、
そこからの洞察を自分のレポートとして贈り届けるという流れがある。
書き手としての信頼第一だ。
ということは、
個人技とは一人では務まらないし、
信頼されるだけの偉さがないなら、
スキルはゼロどころかマイナスだ。
個人技をベースにしていても、
「偉くなれ」の本質は同じなのだ。
信頼できるコミュニティや組織を、
会社だけではなく、
会社の外側に構築する必要があるからこそ、
よりいっそう偉さが重要なのだ。
ドラマでも舞台でもクラシック音楽でもいい。
主演やソリストの個人技は、
助演や伴奏やスタッフや視聴者のおかげで光り輝く。
そこに偉さがあるのは言うまでもない。
かといって偉そうにふんぞり返っているわけでもないが。
同様に、リサーチアナリストの洞察という個人技は、
インタビューに答えてくれる方々のおかげで光り輝く。
普通なら話も聞けないような大組織が客先であり、
しかもそのような組織から信頼されている。
正しさも偉さも大事ではあるが、
単に正論を偉そうに語るというありがちな組織の上下関係だけでは、
絶対に信頼されなかったと断言できる。
正しさが合理的な範囲で担保され、
敬意をベースとした偉さがあり、
そしてそれを包み込む信頼があるから、
あっさりと入り込んでインタビューを開始し、
気づいたらインタビューを行うどころか、
こちらが質問攻めにあう始末だった。
20代半ばかそこらの経験だが、
とんでもない経験だったと断言していい。
リサーチアナリストとしての動き。
先に挙げた企業名から分かる通り、
海運・造船を中心に、
資源・エネルギー、
ストラクチャードファイナンス(船舶投資)…と広がった。
分野が分野なだけに、
海と船が本音で大好きな人たちばかりだった。
仕事が楽しいとは、こういうことなんだろうなと実感した。
総合商社にも、日本銀行にも、
メガバンクにも、外資証券にも入り込んだが、
組織内で一定以上「偉い」人ばかりだった。
そのような客先に信頼され、
本音そのままに統計モデリングや財務モデリングを組み、
当時の自分より年齢が10も20も30も上の方々にインタビューを繰り返して、
本音こそ何より尊いと実感していた。
そんな市場関係者の大手企業群からすれば、
情報の作り手であるアナリストからの洞察は、
本音で喉から手が出るほど欲しいのである。
週次でレポート誌を送付していたが、
1冊を現場で取り合いするので、
ホットな洞察の発信者であるアナリストが来るとなれば、
それを自分から聞き出して直接やりとりできるのは、
客先からしてもメリットだらけだったということだ。
この流れこそ「偉い」のである。
ここだけの話、当時から実感していたが、
外資コンサルティング会社や外資投資銀行のような、
「組織」「お金」が中心にあるビジネスモデルの場合、
若手の修行僧や雑兵時代は「偉い」はあまり問題にされない。
「本音よりも、弱音を吐かず使い倒されることが重要」
という実情が、ありのままの事実である。
なぜならば、客先の本音が、組織とお金に集約されるためだ。
対客先で最低限の「偉い」が見えればそれでよく、
下っ端は下っ端である。
組織とお金の話が優先すると、ごく一部を除き、
コンサルが偉くない下請けに追いやられるのは、
本音をそのまま受け取っているだけなのだ。
偉くないうちは酷使させられるのがコンサルの実情なのは、
それが組織や業界の本音そのままなのである。
これはお隣の領域である外銀も似通ってくる。
実際に、外資投資銀行のリサーチ部門も顧客に複数いたが、
若手はほとんどいなかったか、
いても雑兵どまりでメインではなかったと記憶している。
そうではなく、自分に権限があり、
その上で洞察を出して信頼される経験は、
使い倒される側では絶対に経験できなかったと言える。
正しさ偉さを担保した上で、
それを乗り越えないと、
信頼されないと痛感した。
正しさと偉さの話に、集中しよう。
もともと大学在学時に偶然にリサーチアナリストという仕事を知り、
統計モデリングを軸に戦っていくために選んだ仕事だが、
これがそもそも大正解だった。
だって、権限が付与されて、
自分の発言に価値がつくんだもの。
権限が付与されるとは、
偉いということだ。
しかも日刊の業界紙から、
「よければ書きますよ!」「え、ぜひお願いします!」
このやりとりであっさり週1連載をもらうなんて、
普通じゃありえないよね。
単に運がよかっただけだったとも言えるし、
単にスズメの涙ほどの成果に過ぎないけど、
仕事はポジションでするものであり、
偉いという要素があるから、あっさり連載できたと腹落ちできた。
雨垂れ石を穿(うが)つとは、
その瞬間だけでも小さな小さなチャンスを得て、
ちゃんと成長していくことにある。
だからこそ、運も、実力や偉さのうちなのだ。
だからこそ、市場分析という、
正統派の仕事を堂々と行うのであり、
ぶれない知識と粘り強いリサーチで洞察を出すからこそ、
自然の摂理通りに雨垂れが石を穿ち、
大手企業の30〜40代の社員さんたちに、
20代半ばそこらで、質問攻めにされたのだ。
ちょっとしたことだけど、偉い立場だからこそ、
正統派の仕事をガンガン進められんだよね。
投資案件のアドバイザリー事業(FAS)立ち上げを、
20代半ば過ぎで果たすことが出来たのもこれだ。
正しいことをしたければ、偉くなれ。
その言葉を実感させてくれたアナリストという立場と、
数理統計学や財務モデリングには、本当に感謝しかない。
現実解。
20代半ばかそこらで経験したことを、
綺麗に完全上位互換し続けている。
とはいえ、全てはちょっとしたことの積み重ねだ。
例によって、二つ返事でOKをもらってしまうなど、多々ある。
ちょっとしたことの積み重ねで、
あっさり「偉い」になる。
ぜひ関わってほしい人に、
楽しく適切に関わってもらうことも
偉く関わってもらうことも、
一発で出来てしまう。
正しいことをしたければ、偉くなれ。
偉いからこそ、正しいことができる。
正しさを超えて、楽しくなる。
楽しくなるからこそ、正しさが塗り替えられる。
独立前にも、独立後にも、
小さなことの積み重ねで、
スケールアップを続けているけれど、
今この言葉をじっくり噛み締めているところだ。
偉くなれば、正しさや善悪を超越して勝つ。
そう肝に銘じなくっちゃね。
boxcox.net、遠藤武。