人文系としての文芸批評や社会学が持て囃された。
本来はそうではなかったのだが、
日本語圏限定でひと頃まえに流行った「学際系」の括りだ。
「学際系」はこのほか、メディア論や政策学なども含む。
今となっては、統計学がすべてのカギになった。
統計学は自然科学含めた基礎科学のコアである。
つまり表面的な人文系「だけ」なら、
基礎知識が怪しくても出来るとバレてしまったのだ。
自分の場合、
小さい頃から無線やゲーム機や土木を軸にテクノロジーに触れており、
結果として日本の技術者の限界を知っていた。
幼心にその分野に興味があっても「このままだと負けるだろうな」とわかっていた。
そんな危機意識があったので、
強引にでも多言語話者になったことと、
数理統計学と人文系をカバーできたことで、
テクノロジーも社会科学も困らなくなった。
結果的にビジネスでも困らなくなり、
ファイナンスからSCMからマーケティングまで見通せてしまった。
否応なしに学際系の弱点が見えてしまったのもその影響だ。
デジタル化の昨今、
数強と英強がスキルの基本だと繰り返しているが、
そんな基礎がなくとも動けてしまうのと、
実績が薄っぺらい自称学者・自称研究者が増えたことまでは確認できてしまった。
大学院重点化の悪影響である。
薄っぺらいほうが手っ取り早くセルフブランディングできるものね。
その後の継続性のない状態は推して測るべきだが。
モデリングを日本語の通じない環境で繰り返していると、
基礎がない状態じゃあ絶対に通用しないとわかる。
現実解。
人文系は英強(更に語学強者)を、
数理統計学は数強を、
それぞれ基礎にしている。
単なる出版コンテンツや複数メディア展開だけでは、
基礎がなくても出来る点に注意しよう。
追記。
基礎がなくても、現に目立つことは出来る。
ただし基礎がないから、
独立していても、サラリーマンのように、
群れるビジネスモデルにすがるしかなくなるけどね。
boxcox.net、遠藤武。