「こんな本音の大望を叶えたい、叶えてみせる!今やっていることも方向性が合っている!実力もある!でもまだ道半ば…」
こういうときは、忍者の密命を淡々とイメージしてみよう。
忍者が持つ密命とは、忍者を使う実力者の大望のカタマリだ。
凡人には、今回の人生では絶対にわからないような一国単位のスケールである。
だからこそ密命なのであって、忍者が忍者だとバレてしまったら大変なことになる。
ここで言う忍者の密命とは、スパイ行為のことではない。
「目の前の現状は、つつがなく材料として用い、凡人がドン引きする大望のために転用する」
という、発想の転換だ。
オープンイノベーションの時代において、大望を果たす際に、わざわざコソコソとスパイ行為するというさもしい発想は意味がない。
大望を果たす上で、実力者と忍者の両方を兼ねるくらいでちょうどいいということである。
そもそも99%の多数派は、実力も大望もなく、また忍者のような使命も行動もなく、発想の転換もない。
退屈な常識や、ロジックでしかモノを言えず、空気ばかり読んでいたり、それほど実力がない割に無駄に粘着質な人は、「現状維持という集団」の末端である(優秀か凡人かを問わず、サラリーマンの圧倒的多数はこれだ)。
密命として逆算すれば「よし、この人物はこの場面でこの属性の通り話しているな」と判断でき、そうでない超少数派の秀逸な人と出会ったケースは「これは面白い!」と深く関わることも狙える。
現実解。
本質は「忍者ごっこ」くらいカジュアルな発想でよく、冷徹な判断をひとり密かに楽しめばよい。
もし何か叶えたい望みがあるなら、現状維持の同調圧力が現に存在することを淡々と認めつつ、大望ある自分はそこで立ち回りを最適化や逆算するよう過ごせばよい。
忍者という役割には、目の前に無駄に敵を作らず確実に大望を果たすという、知恵ある側の仕組みが込められている。
たったそれだけの工夫で、目の前の状況を「密命をこなし、大望を果たすための舞台」と捉え、いくらでも面白がることができると約束しよう。
boxcox.net、遠藤武。