普段と違うことをやってみるだけで、
新たな気づきが多く得られる。
大それたことをやる必要はない。
例えば、
普段ぎゅうぎゅう詰めのカフェで待たされてばかりなら、
高級ホテルのアフタヌーンティーを予約し、
絶対に待たされないのびのびした空間と時間に、
お金を出してみるとよい。
普段と異なるからこそ、
普段と異なる空間や、
普段と異なる空間に関わる人と直接触れあえる。
それだけでも心地よいが、
心地よさにブーストされて、
普段と異なる空間に関わる人の頭の中を想像してみるとよい。
それだけで、目先の物事ばかりではない違いに気づける。
目先の物事ばかりに気を取られるとは、
圧倒的多数の人がいろいろな場面で、
普段から受け取っている情報に誘導されているという現象だ。
これはマーケティングやマネジメントの教科書通りの仕組みだ。
目先の物事ではなく、
普段と違った目線にひたり、
普段とどのような違いがあるかを明確にするのだ。
サービス内容と価格には明確な序列があり、
序列ごとの違いに気づくのである。
序列に気づくとは、
感受性を高めることであり、
相手と自分とを切り離すことだ。
切り離すことで序列を外から眺めてみると、
ものすごく恥ずかしくなるかもしれない。
その恥ずかしさを事実として素直に受容すると、
教科書通りの知識が、
自分の当事者意識として焼き付いて、血肉となる。
「気づき」という言葉の本質はこれだ。
普段と全く違うことをやるとは、
道に迷うことを楽しむことに他ならない。
現実解。
自分を人に照らし、
別角度から光を当てることで、
全く違う道や、
全く違う自分が見つかることなど、
日常茶飯事だ。
単に「普段と違うことをやれ」とだけ言ってしまうのは、
一見わけがわからない。
だけど、
わけがわからない思いつきの行動こそ、
実のところ究極の娯楽なんだよね。
プラスの意味で普通じゃ起こらないことを起こすのが、
企画の本質なのだから、
普段と違うことを受け入れてみるとよい。
追記。
好きな人に振り回される経験というのは、究極の娯楽。
boxcox.net、遠藤武。