ビジネスにせよ執筆にせよ、
見切り発車した上で変わっていくほうが、
結果としてうまくいく。
執筆する必要があるなら、
ウンウンうなって長考しても、
原稿はいつまで経とうと下書きにすらならない。
ウンウンうなっているヒマがあるなら、
思いつきで下書きを仕上げて、
そのまま企画書にしてしまうほうが早い。
そこからコメントをもらって、
よりよい企画に仕上げたら儲け物だ。
執筆も法人営業も新規事業も全部これ。
もっと言えば研究開発もこれ。
「これじゃイマイチだ…」
場合によってはそう思うかもしれないが、
それはベータ版やプロトタイプと呼べば済む。
そこからバージョンアップを重ねるのだ。
誰もが知っているディズニーランドでさえ、そのようなバージョンアップを経ている。
かつてのアトラクションに、アニメ映画と関係ない「日本の歴史」を扱った劇場があった。
またパレードでは、自社のアニメ映画と直接関係ない謎キャラクターがグルグル周り、それっぽい演出で出ていた。
今でこそ「何でディズニーなのに日本の歴史のアトラクション?」「何でグルグル回る謎キャラクター?」と言えてしまう。
当時はそれ相応に人気を博していた様子だ。
今はそのようなよくわからないアトラクションやキャラクターは一切いなくなり、
誰もが知るキャラクターに置き換わっている。
これでよかったのだ。
かつてのアトラクションも、グルグル回るキャラクターも、現今の人気キャラクターも、
どちらも記憶に残れば、愛すべき存在である。
見切り発車があればこそ、当時を強く思い返せるし、
今となっては進化した過程がより強く浮き彫りになる。
見切り発車からの進化は、理屈を通り越して美しい。
この真逆。
ウンウンうなってバージョンアップしないでいると、
だんだん立ち居振る舞いが悪くなり没落する。
没落した物事は、学ばず変化せず、自滅していっただけだ。
残酷なほどシンプルなルールだから、
ともすれば見切り発車からバージョンアップするという考え方自体を素通りしてしまう。
特に、頭を使えていないと素通り率は激増する。
毛並みが悪い人は頭を使えていないから、他人の価値観にのっかり、ブームの下火とともに没落する。
頭を使う仕事で学び続けていても、常識ばかりに囚われると根本的なバージョンアップから素通りしてしまう。
毛並みの良いはずの大手企業やコンサルや金融や専門職の人材だと、
かえって目先の流行り物に囚われて群れてしまい、
自分軸の非常識で考える発想が持てないのだ。
だからこそ味わい深く、そして驚嘆があり、誰にも踏み荒らされず美しいのが、見切り発車のいいところ。
現実解。
仮説でも下書きでもいいから、迷うヒマがあるならさっさと見切り発車しよう。
アウトプットを引っ込めずガシガシ出していれば、
空白を埋めるようにインプットが捗るのも、また事実。
boxcox.net、遠藤武。