人間が作る物事は、エンタメにせよデジタルツールにせよ、
進化するほどアナログを極めることになる。
テレビゲームはドット絵のカクカクを超え、リアルな絵画のごとく息を呑む美しさに達した。
時計や靴は、値段が高ければ高いほど、大量生産では代替できない職人の手が加わる。
どれもアナログ的な感度や情緒に、極めて高い価値を抱くのである。
なんでもスマホに入るというのは、そもそも進化ではなく、
通信機や書籍や映画館が小型化されて手元にあるのと同じで、
本質は超アナログな物事が1つの機材に収まっただけだ。
デジタル化の本質は、とびきりアナログで人間臭い。
これは娯楽・エンタメとはいくら発展しても果てしなく人間臭いのと同じだ。
デジタル化が進むと一見高度化したように思うが、みんなアナログ的な人間臭さが恋しくなる。
SNSもマッチングアプリも、顔写真を自動修正して美しくするアプリも、デジタルの権化だが、
ついつい群れたりカッコつけたがる人間臭い本音を突いているのだ。
これらはシンプルに言えば、文通と化粧がデジタル化しただけである。
手持ちの機材のスペックが、単にスマホになっただけでは、果たせない。
欲しいものは、スマホが叶えてくれる人間臭い願望だ。
このとき、願望を形にする成功体験を誰かが形にする必要がある。
単に機材のスペックを合理的に追求すると、人間臭さはカットされてしまうからこそ、合理性のスキを突くのだ。
スペック向上で無いものねだりを叶えるハードルが下がったからこそ、人間臭い願望がより際立つとも言えるが。
現実解。
究極のエンタメは、デジタルを離れて人間にしかできない、超アナログな本音にある。
あちこちで自撮り画像を撮ってしまうのは、超アナログな欲求を満たしているだけなんだよね。
追記。
デジタル情報は、思い切って超上から目線で無視しても問題ない。
人間しか持たない愛や友情、創作・執筆にこそ、本音そのままの価値が集中しているのだから。
boxcox.net、遠藤武。