誰もがうすうす感じとっていることかもしれないが、
「これは合わないな」という場や物事からは、
自ずと離れていくことになる。
冒険活劇で故郷を離れること然り、
自分が成長して組織を離れること然りだ。
時には強烈で理不尽なショックがあるかもしれない。
だが、そのときこそ上に進むチャンスなのである。
マンガやアニメやゲームで群れているだけのモブキャラは、
故郷や組織からは離れて行かないと相場は決まっている。
それは脇役ではストーリーがつまらないという以前に、
離別はすべて成長に必要な一大イベントだからだ。
マンガでもゲームでも、嫌味ったらしいことを言い出して主人公を村八分にする脇役は、
離れていく勇気も実力もないから、嫌味ったらしい動きしかできないのだ。
これは実在の組織や出来事でも全く同じで、
勇気がないから成長することができない小物の癖に、
格上をねちっこく罵るくらいには態度がデカい。
そうやって群れて、自分の実力不足に嘘をつくことに終始するのだ。
モブキャラの末路は、時間と健康を削って嫌な思いを繰り返し、
「人並み」「常識」「無難」というその他大勢向けの特徴に包まれ、一生を終えて行くのだ。
もしあなたがその他大勢から嫌われたり、
その他大勢と関わることに「これは合わないな」という違和感があるとしたら、
何かしらの才能を持っている可能性が極めて大きい。
堂々と自分の物語の主人公として生きるべきだ。
今の世の中、主人公が良いかモブキャラが良いかは、100%自分で選ぶことができる。
どのみち、突出して生きていれば、自ずと何らかの形で悪目立ちすることになる。
その他大勢からすれば、主人公が妬ましいのは当たり前のことだ。
その瞬間こそチャンスであり、その他大勢ではない自分の才能を発揮し、
楽勝できる建て付けで楽勝すればよい。
現実解。
「これは合わないな」という状況は、
ただひたすら不自然であり、
どのみちどこかで別れを告げる必要がある。
まずその事実を認めよう。
その上で、真逆にある自然な流れに身を任せる。
どれだけ極端で理不尽だとしても、
「これは合わないな」から来る理不尽な離別は、
自然な流れであり、成長と成功への序章だ。
自然な流れに身を任せるとは、
淡々と実力を圧倒的に発揮することであり、
澱みのない素直な成長だと言い切ってよい。
追記。
「これは合わないな」という澱みの切り離しは、
自分を圧倒的に育ててくれるラストピース。
boxcox.net、遠藤武。