優秀な人は、二つに分類できる。
優等生ゆえに、医師や弁護士やそのほか専門家になるか、
突出しているために、既存の枠を超えてしまうかの二択である。
「優秀層が医師ばかり目指してしまうのは良くない」
という声はもっともらしく思えるが、実際ほんとうに優秀なら、
優等生的な医師の枠組みさえあっさり超えてしまうのが事実だ。
「優秀な層は、医学科ではなく理工系に進むべき」
という声は正しいように聞こえるが、
本質は「数学から逃げない」「英語から逃げない」の2つに集約される。
本質の外側であるサラリーマンで、単に技術職に就いたとしても、
所属組織に実績を吸い上げられてしまい、9割はせいぜい部下なし部長でキャリアを終え、
55歳を超えたら役職定年を迎え、結局は下請け技術者どまりというまでが事実だ。
この事実は、就活で情報を集めたり、就職後数年立てばおのずとわかることである。
私が幼少期から好きだった電気電子分野や、
大学在学中から関わっていたとある工学分野の場合もこれと変わらず、
一介の技術者や公務員になるか、
公共事業に関わるかがほぼ全てであり、
個人として輝くには長年かけて研究者になるバクチを打つくらいしかなかった。
故に、そのような状態を避けて本質を取るために、
思い切って別な道を歩んでいくことにした。
もちろん、知識も知的好奇心も妥協はしない。
私の卒業した大学はリベラルアーツを敷いて文理の垣根が完全に無いために、
そのような生き方や感性が当たり前だった。
大学から大学院にかけて理転する人は当たり前にいた(理転文転という概念自体がナンセンスと捉えられていたが)。
国立大学の医学科に入り直す人は毎年いた(現在もこの傾向は変わらない様子だ)。
現役受験生で医学科を目指す人が後を絶たない理由よりはもう少し青臭いかもしれないが、
優秀な人が見ている本質は同じだと、受験生から大学生のあいだに気付かされた。
無論、どのようなケースでも、本当に優秀ならあっさり独立して枠組みさえ超えてしまうのだが。
現実解。
自分が勝てる分野で楽勝することが基本であり、それは単に雇われているだけだと叶えづらいと覚えておこう。
優秀な人は、世の中の動向を見て行き着く先を把握しているから、誰も歩んでいない道を選ぶのであり、
茶々を入れてくるヒマな外野連中には、好き放題言わせておけばよい。
こっそり囁くと、誰も歩んでいない道を歩んだもの勝ちなのだから。
boxcox.net、遠藤武。