「周りから見下されたり舐められてしまいます…」
「どうでもいい腐れ縁ばかりが残り、悪くはないけど良くもないです…」
この2つの悩みは全く異なるように見えるが、本質は同じである。
いずれも、関わる相手と本音がマッチせず、中途半端な関係なのである。
見下されたり舐められたりするのは、あなたの本音が甘く、中途半端にしか相手に伝わらないだけだ。
悪くはないけど良くもないのは、あなたの本音が甘く、中途半端なぬるま湯に浸かっているためだ。
誤解しないでほしいが、あなたの本音が中途半端だから悪いのではない。
あなたに本音があれば、当事者意識が生まれ、その場でいくらでも変われるはずだ。
実力は、本音からしか育たない。
その一方で、あなたの当事者意識を根拠に、中途半端に甘んじる他人を変えることはできない。
人間関係に悩みが出てくるというのは、あなたに成長意欲があることの表れだ。
これは広く言えば、周りと価値観が合わないだけであり、どちらが良いか悪いかという話ではない。
中途半端な人とあなたとでは、住むべき場所が根本的に異なるのだ。
本音を軸に自分が変わることは、自分に当事者意識や主体性があれば、チャンスがある。
変わる気のある自分にとっては極楽である。
本音のない他人を変えることは、自分の当事者意識と主体性と無関係であり、チャンスはゼロである。
変わる気のない他人にとっては拷問に等しい。
これには例外がない。
そもそも大多数の人は、当事者意識や主体性を持っているとは限らない。
なんとなく既存の集まりに入会して、なんとなくSNSで群れる人が大多数だ。
世の中には既成の仕組みが多くあり、何の疑いもなく既成品に乗っかって、ぬるま湯に浸かっているほうがラクなのである。
それも一つの生き方であり、否定する気は毛頭ない。
私を含め、人は自分の見たいものを見るクセがある。
見たいものに不一致があるならば、無理して関わるのは酷だとわかっておくべきなのだ。
現実解。
この逆に、見たいものが一致している人との関係は、すこぶる良好になる。
成長するには、あなたと他人の本音をベースに、人間関係を選んで共存共栄すればよい。
ビジネスパートナーや、人生のパートナーは、価値観のマッチからしか成り立たないのである。
価値観に応じ、節目ごとに人間関係がガラリと入れ替わるいくことなど、成長する人にとっては日常茶飯事だ。
あるいはお互いの道で成長したのち、再集合することもある。
これは極めて自然なことであり、最も無理のない生き方を、局面に応じて自分にも他人にもプレゼントする立ち居振る舞いだ。
本音で生きていれば、別れの数だけ出会いと成長があるとわかる。
それだけで、昨日よりも去年よりも、人に優しくなれる。
boxcox.net、遠藤武。