皆うすうす気づいていると思うが、やたら目立つだけの評論家や自称研究者は、価値がないとバレてしまった。
何でもクチを出すコメンテーターや、炎上芸人しかできなくなってしまったためである。
背景は、データドリブンな分野が広がった事実にある。
データドリブンな分野が広がることで、特定のキャリアを経た人の実力が極めて底上げされているのだ。
相応の実力や競争が必要なサラリーマン(コンサルやアナリストや専門家)は、実力が更に上方向に引っ張り上げられてゆき、数理統計学やテクノロジーやファイナンスなどを文理問わずまたがり、年功序列がなくハードルの高い実力主義かつ専門性の高い分野になった。
いっぽう大学院重点化で、もともと大学院に進まなかった層が、基礎や教養のいらない学際分野(政策系・メディア系・経済系などの個別ないし複合分野)に進み、ハードルが低くなることで実力が薄まった。
この結果、本来なら実力があったはずの研究者・評論家が、本来なら年功序列で実力がなかったはずのサラリーマン経験者に、とうとう押し負ける現象が出てしまったのだ。
現に私は、専門性がなければ絶対に依頼が来ないメジャーレーベルで連載執筆を行っている(そしてアナリスト時代には全国紙に多数の知見を提示した)が、それに相当する専門家や研究者はそう多くない。
他方、専門家枠あちこちのメディアに顔を出してばかりでも、メジャーな専門レーベルでの知見提示はなく、事実としてセルフブランディングが中心の芸人や広告塔というビジネスモデル止まりというケースはよくある。
そうすればお金が入ってくるためだ。
無論、このビジネスモデル自体が悪いのでも、その面々が悪いのでもない。
このモデルは、かつて科学的にも人道的にも正しいことをしていた市民科学者が、一度メディアで歩んでいた道の応用だ。
これを現代で生かす際、サラリーマンで理不尽な競争に悩まされる状況をすっとばし、研究者として(すなわちいち個人事業主として)一気に突き進む上で効果的である。
競争や実績不足で疲弊するよりはるかに有意義であり、非の打ち所がない。現に私も参考にしている。
他方、サラリーマンとしていちどでも規模の大きい仕事をしたことがあるなら、更に規模の大きい金額を扱う分野とテクノロジーに関わり、その上でキャリアチェンジするのが常套手段である。
コンサルから別分野にシフトしたり、重厚長大な業界から研究者に転身するというのは、もともとメジャーなあり方だ。NTTや建設コンサルから自然科学や工学の領域で大学に戻る人は、以前から存在している。
現実解。
どれが王道か、どれが邪道かということはない。
インパクトを継続的に作り、話題に事欠かず、そして実力と実績が圧倒的であれば、すべてを有利に進められる事実があるのみだ。
追記。
こっそり囁いておくと、目先の名声よりも長期的な実力を孤独に取るほうが、結果として更に規模を拡大・深化でき、遠回りに見えて最短距離というケースが極めて多い。
今はデータドリブンで実力がある人向けのの間口が広がり、単にメディア露出するだけなら実力がなくてもできるグレーゾーンな営業活動だと知られるようになった。
これは少なくとも30年は変わっていない事実である。
boxcox.net、遠藤武。