ほとんどの悩みは、お金で解決できる。
衣食住も教育水準も、世の中をみていると、
お金で買っている要素が色濃いというのが実情だ。
中学受験も大学受験も、才能の要素がゼロとは言わないが、
才能はお金の余裕と心の余裕が支えているのが事実だ。
お金がなくても才能を発揮する人はいるが、
お金で教育と才能を得るほうが圧倒的にハードルが低い。
「親ガチャ」とか「地域ガチャ」は、
地の利がそのままお金回りや知的水準に反映し、
ハードルを押し下げている。
その一方で、絶対にお金で買えない要素がある。
それはセンスの良さだ。
本音と独自性を掛け算すると、その人のセンスになる。
本音も独自性も、常に学び続け、常に細部と全体に目を光らせる、教養の賜物である。
教育水準がいくら高くても、本音が目先の競争では、独自性が身につかないし、それではいくら専門があっても教養とは程遠い。
お金をいくら持っていても、学び続けていないなら、文字通りヘナチョコどまりである。
「この人はセンスが悪いな……」という人を見かけて嫌な気分になったことはあるだろうか。
つまるところセンスのない人は、中途半端なくせに不自然な背伸びをしており、誠実さと素直さに欠ける。
だからこそ嫌な気分になるのだ。
これは、実は武器である。
センスのない人に嫌な思いを抱けるというのは、あなたにセンスがある証拠だ。
一言物申したくなる分野には、かならず才能が眠っている。
ビジネスも研究も、まず一言は独自に物申したくなる本音からしか、始まらない。
他の人はなんとも思わないことについて、一言がつい出てくるというのは、それだけでセンスのあり方なのである。
現実解。
お金で解決できる悩みは、さっさとお金で解決する。
その上で、お金で解決できない悩みは、自分のセンスを一点突破で勝てるように活用して解決する。
せっかくついうっかり物申したくなるセンスがあるなら、
物申す精度を上げるために、全体像も細部も把握すればよい。
大人がする勉強というのは、試験のためにやらされるものではなく、
何かに駆り立てられ、雨垂れが石に穴をあけるかのように、
ついつい本音で繰り返してしまう感覚的なものだと覚えておこう。
それくらい本気になってしまうからこそ、お金では解決できないという重みがあるのだから、
淡々と確実にできることに集中するほうが、ただひたすら楽しく悩みを解決できる。
boxcox.net、遠藤武。