真っ先に「やらないことを決めておく」ことが、
仕事を仕組みに乗せる上で大切だと何度も書いてきている。
そして、そのような意見を今では数多く見かける。
私の場合は、
・格式が低い召使いや、格式抜きに群れる立場にならない
・自分の健康や尊厳や成長機会を害する人には関わらない
・テクノロジーや文化に疎い情報弱者や実力不足にならない
・熱中か楽勝のどちらもない物事には関わらない
と、20代から決めていた。
結果としてそのような人物とは関わっていないし、
仮にそのような人物が万が一紛れ込んだとしても、
電光石火で関係が切れるように持ち込むようにしている。
こう書くと「人間関係をあっさり切るとは何事か!」と、
正義の怒りをぶつけようとする人が少なくない。
その正義感は正しく、常識にかなっている。
私の場合、正義と不正義や、善と悪を超えて、確実に成長し、
その上で正義や善を問うことを選んでいるだけである。
自分に実力がない状態で、いくら正義を貫いても、
言っていることと実力がマッチしないのであれば、
空中分解を起こしたり、仲間割れしたり、
身の程をわきまえずに悩んで発狂したり、
あるいは社会的に抹殺されてしまうのがオチだ。
どんな状態でも正義を声高らかに叫ぶことは美しいが、
群れる半端者や、格式の低い分際で、
いくら正論をぶち上げたところで、
バカにされるという弱点を与えてしまう。
とするならば、善悪をこえて、
まずはつべこべ言わずに「やらないこと」を決め、
不要な人間関係が切れるように仕込んでおき、
その上で実力をつけて、堂々と強い側として生きるほうが、
誰かを救うことも、
楽しく生きることも、
同時にできるのではないか。
現実解。
強い側は、わざわざ弱い側になるようなことをしない。
これも「やらないこと」の立派な決め方。
boxcox.net、遠藤武。