大多数の人は、慎ましやかに過ごしている。
というのも大多数の人は、出る杭になることを恐れて群れてしまう。
常識に群れることが好きでやっているならそれでもいいが、
既存の常識に疑問があるなら疲れるだけだ。
とすれば、少しわがままになるくらいでいい。
世の中で常識を変えてしまう人は、
妄想して学んで行動する人だと相場が決まっているが、
それは言い換えれば「一見わがままさを感じない、分別のあるわがまま」だ。
分別がない人が目立ってもてはやされ消えていくことは多々あるが、
そのような人はわがままを貫いたから評価される側になったのである。
もちろん、わざわざ自分から消えにいく必要などないが、
コンスタントに存在を強めて成長し続けるには、
分別とわがままの矛盾を乗り越えればいい。
現実解。
どこかでわがままと向き合うことでしか、常識は変わらない。
退屈や疑問があるなら、一歩分だけ勇気と知性を出して、
わがままに見えないわがままを模索すると、突破口が開ける。
boxcox.net、遠藤武。