本音を論理で後付けする人は伸び、論理を先出しするだけの人は落ちぶれる。
論理的思考とは、本音や理想を後付けするための手段であるためだ。
実のところ、脱下請けができずに足踏みしている人は、
論理が先行して実力がからきしというケースが少なくない。
そもそもだが、独立したのにやたらと理屈っぽい人は、
先に論理が出てしまって退屈であり、万年下請けだ。
論理的思考は手段に過ぎない。
となると、理屈ばかりが先行する場合、
独自の価値観や本音は、とても薄いかゼロであり、
真っ先に「下請けが儲かる」という発想や発言をしてしまい、
やっていることはサラリーマン時代と変わらないか、
そもそもさほど成長していないままのケースが極めて多くなるまでがテンプレだ。
苦しい下請けのままでかまわないならそれもまた人生の選択だが、
下請けが嫌なら、選択肢を変えていくしかない。
知恵を絞って、自分の得意分野だけで勝ちに行く。
常識を捨てて、自分の苦手分野を完全に回避する。
勇気を出して、依怙贔屓しあえる人とだけ関わる。
単なる勤め人だと取れない選択肢を、
愚直に取っていくしかない。
現実解。
成長というのは、自分のモノサシが変わることだ。
モノサシを変えていくための決断と行動をとっていれば、
成長している限り「この人は合わないな」という人が必ず出てくる。
これは理屈を超えて実力をつけ、ステージが変わっていく人の常だ。
boxcox.net、遠藤武。