独立し、いろいろなタイプの社長と会い、とても良くしてもらっている立場として言おう。
そういう方々は、自然体だからこそ、成長をベースに人とまともに関われる。
その真逆で、承認欲求ばかりが不自然に強い社長もいる。
承認欲求は成長のためにとても大切だが、そういう場合は何から何まで不自然だと言っていい。
特に、営業会社や代理店など自前のサービスを持たずに売り歩くケースや、
さほど役に立たない元〇〇を強調しているケースや、
起業することが目的になっているケースや、
知性がお留守になっているケースに、
不自然な承認欲求は多い。
とにかくひたすら、不自然なのである。
身の丈にあっていないことに執心したり、
せっかく格上に出会っても承認欲求が災いして、
チャンスを自分から無駄にする。
しかも、その実情に一切気づかない。
否、それだけ済むならまだいいが、
承認欲求が災いして嘘と猜疑心ばかりが肥大し、
自分を見つめることができず、
人もお金も信用も突然離れていくまでがテンプレだ。
私は社長に仕組み化を指南する立場上、
「ヘナチョコすぎて救えないな」
というケースも多く見てきたし、
紹介してもらっても「この人はダメ」というケースも多く見ときた。
いずれも根本的に学ぶ気がないため、
事実を直視せず、
狭い世界に閉じこもっているのである。
もちろん、社長に限った話ではない。
当初は「なぜこんな人がいるんだろう?」とても不思議だった。
単なるコンプレックスと言ってしまえばたやすいが、
それだけではコンプレックスをはねのける人の説明がつかない。
これを仕組みとして、虚心坦懐に見つめたところ、
「なるほど、小さなお山の大将でいるほうが心理的にも生存にもラクだから、社長やビジネスしかりそうでないケースしかり、承認欲求が不自然になるのか」
と気づいた。
その人たちが事実を見ず、承認欲求を不自然に出すのは、
シンプルに言えば「生存のための仕組み」なのである。
イヤな物事から自分を防衛しているのだ。
もちろん、事実をありのまま見て受容することから降りてしまっているため、
仕組みとしては欠陥があるから、
事業や組織が変なところで吹っ飛んだり、
自分の人生がおかしくなるまでが答えなのだが。
現実解。
承認欲求の使い方に、その人の生き方がありのまま出ると覚えておこう。
自然体でいる人は、承認欲求を自然に使っているし、事実をありのままシンプルに見定めようとする姿勢がある。
不自然な人は、承認欲求が人として不自然であり、何もかもが無用なほど複雑になってしまう。
承認欲求そのものは、素直に向き合うと大変有意義であり、生存を超えた成長の機会を得られるという性質を知っておけば、どうとでもできる。
ボックスコックスネット、遠藤武。