どうしても許しがたい物事がある・許しがたい人がいる理不尽がある、
その怨念を「自分の成長のために使う勇気」ことが全てである。
というのも、理不尽なケースというのは、そう簡単に解決できないためだ。
許しがたい「物事」「人」と分けたのは、個人的なケンカやいじめや係争に限らず、迫害や社会不安による四面楚歌といった、個人にはどうにもならない生き地獄全てを踏まえている。
もちろん、苦しみの当事者であるとき、個人的なものであろうと、社会的なものであろうと、いっさい関係なく許しがたいが。
だからこそ、率直に言ってしまおう。
その理不尽を解決する手立てなど、常識的な次元にはないケースの方が、圧倒的に多い。
ここで絶望に打ちひしがれて終わるか、いったん絶望したとしても見方と行動を変える勇気を出すかは、自分で選べる。
どのみち勇気を出すなら、いっそのこと、自分を別次元の超少数派に成長させる方便にすればいい。
非常識と感じるかもしれないが、直感に反したところからが始まりだ。
レベルアップには、少しだけでもいいから非常識になる勇気が必要なのである。
事実をありのままを言うと、別次元にレベルアップしてしまえば、目先の苦しみなどデコピン一発でフッ飛ばせる。
私はここ2年、ある上場出版社の出す老舗ビジネス研究誌で、データ分析と仕組み化について月2〜3回の執筆を重ねており、連載回数は2年で50回を数えるまでになった。
業界としても異例の長さであり、このおかげで自分の本の出版が決まり、そのほか複数の書籍出版企画をハードル低く通せる立場にもなった。
これは、単に常識的にデータ分析を手がけたりFP&Aに関わったり、独立しただけでは、決して得られない別次元の立場であり、デコピン一発でフッ飛ばせる要素だ。
更に言うと、私がかつて独自サービスをゼロから作って世に出し、当時の所属先の再生を果たしたとき、
この出版社の専門書を10冊や20冊単位で買って、手当たり次第没頭して読み込み、活用した事実がある。
その当時は、金融危機の影響が理不尽なまでに残っていたが、臆病な自分は面白いと思えることに没頭していた。
勇気を出しているのか、現実逃避しているのか、もはやよくわからなかったが、これがかえって良かったのだ。
そこから10年ほど後に、その出版社から私が異例の連載を依頼されるとは、統計モデリングでも予測しようがない別次元である。
煎じ詰めれば、もはやご縁だと言うほかない。
現実解。
自分の人生で今まで出てきた「イライラ!」や「カチン!」から「許しがたい物事」まで、
少し非常識になる勇気で、理不尽は全てプラスに転換できる。
大多数は、まったく勇気を出さないか、基礎や創意工夫の蛮勇のまま終わるのだから、自分の成長から入って構わないのだ。
boxcox.net、遠藤武。