データ分析で新規事業もキャリアも作った立場としては、
「統計学を道具や思考や、テクノロジーのコアとして使いこなせると最強!」という考え方に全く異論はない。
一方、あまり指摘されないが、統計学そのものだけでは明らかに限界がある。
統計学は、既存のドメイン知識と掛け合わせて、そこに科学的・技術的・資本主義的な価値を出すことで強みを発揮する。
基礎的な技術開発・研究開発や、異分野への応用として、「作り手」になることが重要だ。
例えば、品質工学と価格設定とカスタマーサクセスを掛け算し、生データだけでなく、ダミー変数をラフ集合や灰色理論で定め、品質調整としてのヘドニック法を掘り下げて新規事業を作る…といった場合、そのインパクトはテクノロジーとしても資本主義面でも大きい。
もっとわかりやすい例を言えば、売上予測のできる機械学習のアプリを作り、時系列解析で1日ごとの売上を予測していく…という開発なら、インパクトの強さは理解しやすいはずだ。
そうではない、基礎や応用の「使い手」止まりだと、いくら知識があっても「分析オペレーター」であり、ものつくりやコトづくりの蚊帳の外だ。
いわゆるデータアナリストやデータサイエンティストは、権限が薄いわりに作る側でも企画者でもないため、その実情で割を食うことになる。
「統計学のオペレーション」や、その解説「だけ」では、算盤や電卓を使う労働力にとどまり、教材やコンテンツという価値しかないゆえインパクトも価値も薄い。
私は一度統計学から離れたが、その理由は「このまま進んでも分析オペレーター職ばかりであり、付加価値が薄く勝てない」「せっかく事業を作るための技術開発をしたのに、それを生かせない」と直感したためである。
無論、テクノロジーや技術開発をガッチリ握ったままFP&Aを担える「二刀流」の強みも直感していたまでが事実ではあるが。
その観点で動いているうちに、統計学周りで情報発信をする人は、狭い分野やコモディティ化した基礎知識に依存したオペレーターやコーダーどまりだと知った。
データアナリストやデータサイエンティストには、大なり小なりの技術開発、新規事業開発、組織立ち上げを担った経験がほとんどないとわかり、自分の強みが浮き彫りになった。
ネット上で統計学メインに情報発信している人は、統計学のオペレーターどまりゆえか、事業立ち上げも技術開発も組織マネジメントも感度がない事実に苦しんでいる様子だ。
現実解。
つまるところ、「強い権限」「柔軟で分厚い知見」の差なのである。
統計学は知識としては最強になる素地があるのだが、既存の統計学のオペレーターというだけでは最弱と知っておくしかない。
追記。
技術系の資格試験も職務も、決められた役割をこなす「弱い権限」と「カッチリしてほどほどの知見」どまりだ。
国土交通省管轄のとある国家資格の中身を知った際の感想が、これだった。
boxcox.net、遠藤武。