一定水準を超えると、
一見無駄に見える余白が増える。
特にお金が集まる場所や、
売れている物事は、
余白があるのだ。
ホテルのカフェが広々としているのも、
ブティックが広々としているのも、
無駄ではなく余白だ。
余白があるから、ゆったりと過ごせて、
思考を巡らせることができる。
ただし一定水準以上の場合でも、
ゴテゴテして不自然に華美な場合、
それは本当の無駄だが。
センスがあると言えない無駄か、
美意識のある余白かは、
過剰の有無で見分けるとわかりやすい。
本物は、だだっ広い場所にポツンとあっても、
常にシンプルで自然だから、
余白を感じることができる。
なにより、ゆったりと心地いいため、
過ごしたり見たりして飽きが来ない。
現実解。
過剰がないからこそ、シンプルさで勝負する必要がある。
ゆえに本音や本質がありのまま丸出しになる。
そうやってまじりっけなしに覚悟を決めているからこそ、
余白で包み込んで、うるさくないように余裕を持たせておくのだ。
追記。
素敵な時間に、言葉など蛇足だものね。
ボックスコックスネット、遠藤武。