私は大学で、徹底的に「つくる」ための方法、
すなわち論文の書き方やリサーチ方法といった研究をつくるスキルを、英語で鍛えられた。
このルールを軸にして理系文系問わず大活躍する卒業ばかりである。
同時に「国内の最上位の大学でこれを鍛えるルールが甘かった」という事実をありのまま知った。
国内のトップ大学群で「ルール」や「作法」は、基本は試験対策どまりである。
入学試験と、その延長の単位認定通過手段に終始している。
これは「つくる」を鍛える研究や教養ではなく、予備校文化の名残なのかもしれないし、
専攻したい学科を選ぶ(=進振り)という短期目的で、
成績を確保するためのルールというとも言えるかもしれない。
言うまでもないが、「つくる」を鍛えることはカバーしていないため、
「ルールが強固である」と言い切るにはちと厳しい。
現実解。
今はこの「つくる」というアカデミックスキルを英語で鍛えるプログラムが、
全学生必修化されるケースが目立っている。
今まで求められていたルールと根本から階層が全うため、苦しみながら鍛えるケースは多々ある様子だ。
追記。
アカデミックスキルがあると、だいたいの実務はクリアできるし、知的生産で困らなくなる。
基礎があれば、AIを活用して異分野に踏み込むハードルも下がっているのだから、必要な発想なのだ。
ボックスコックスネット、遠藤武。
