わかりにくい物事に、わかりやすい理由付けや言葉が欲しいから、
人はふとしたことからスピリチュアルな物事に走る。
スピリチュアルを全否定するつもりはないけれど、
王道を往く人は、そもそもメジャーな宗教を信じているか、
何らかの学問を以てスピリチュアルな物事を代替している。
個人の限界を突破する上で、拠り所が必要であるために、
自分の力だけではどうにもならない物事について、
理由付けや言語化を求めるのである。
全員が全員、メジャーな宗教を信じる必要はないし、
学問に無理やりハマる必要もないけれど、
自分の力だけでどうにもならないことについて、
理由付けや言葉を求めることは悪いことではない。
本に書いていないことを自分で言語化したいなら、
哲学でも文学でも法学でも経済学でも心理学でも、
数学でも物理学でもコンピュータサイエンスでも、
あるいは詩歌でも古典でも、漫画でも、スピリチュアルな本でも、
とにかく等しく読み漁って、そこから「ない言葉」を逆算し、
言葉を紡ぎ出したって良いんだよね。
..遠藤武