自尊心が満たされていない状態や、
自分の失敗をどうしても認めたくないときや、
次へのヒントをひねり出す問いを立てられないとき、
自己愛が何らかの形で出しゃばっている。
これは、素直に負けを認めたくない執着がへばりついている状況だ。
思考や知識や素直さに気を遣わないときや、弱点から目を背けるとき、
人は無意識のうちに、自己愛の出しゃばりによって同じ失敗を繰り返してしまう。
へばりついた意識の重みがダブついて、意思決定をブレさせてしまうのである。
経済的に成功していようといなかろうと、とんでもなく間抜けな意思決定や発言を繰り返し、
それこそ親子数代にわたって、同じような失敗を重ねてしまうわけである。
情にほだされた人事で自分から失敗していく経営者も、
文化人を気取りながら、実態はマスプロ大学の学生サークルとかサラリーマンと大差ない馴れ合いに終始する人たちも、
究極的には個人の選択の結果に過ぎない。
好きだからやっている自己愛なのである。
更に自己愛の出しゃばりがエスカレートすると、組織内政治に走ったり、
事あるごとに訴訟をちらつかせたりと、保身に走って素行が悪くなる。
自意識にエネルギーが仕向けられると、それだけ暴走しやすいのである。
こうなってしまっては、自己愛の結果として、
突然スピードを出し過ぎて事故を起こし、
社会的にご臨終しかねない。
現実解。
どうせ何かをやるなら、自尊心を適切に満たすほうがいいし、
そもそも素直に失敗から学び取るほうが正直言って非常に楽だし、
転びながら物事がどうあるべきかを再定義すればいい。
自分にせよ他人にせよ、自己愛の出しゃばりがふと見え隠れしているとき、
自己愛のどういった理由から来ているのか、長引きそうなのか、
といった要素と向き合ってしまうようにすれば、確実に身軽になれる。
追伸。
仮に他人の自己愛の出しゃばりがうるさく思えても、
「まあ、そういう背景を持つなら、この素行も仕方ない」
と納得して許してしまえばいい。
..遠藤武