過去と戦わないだけで、前向きに成長できる。
過去はあくまでデータであって、練習試合にすらならない。
データを取ったら、未来とぶつかり稽古すればいい。
現実解。
目標の逆算は、未来と取っ組み合いすることで始めて成り立つ。
統計学は、あくまで過去から未来を予測することしかできない。
モデル化に組み込めない変数が未来にあるからこそ、統計予測は外れる。
過去に負けたモデルだけ引っ張り出して戦っても、勝ちようがない。
であれば、その真逆である、勝ちようのある未来を想定すればいい。
勝ち癖とは、学習性肯定感だ。
負け癖とは、学習性無力感だ。
ビビリによる不行動は、過去に負けたモデルに囚われた、負け癖のもとである。
人間の頭脳のほうが、数理モデルよりはるかに上なのだから、これはちょっともったいない。
であれば、自分を創るデータを、学習性肯定感に置き換えてしまえばいい。
そのために、ハードルを徹底的に下げる。
「こんなんでいいの?」というくらい下げる。
褒める回数を数えていく。
勉強であれば、基礎に立ち返る回数を増やす。
これは数をこなしやすくする方便だ。
もし仮にダラダラとやっていても、結果論として数がこなせていたら、勝手に成長する。
「ダラダラの中に、圧倒的な数と質のこなし方を用意する」のも、未来の創り方だよね。
過去の延長線上や、ありがちな一般論を捨ててしまえば、そういうやり方もアリだ。
過去や一般論を捨てるという言い方が、ちょっと鼻息が荒いと感じるなら、もっとハードルを下げよう。
過去と戦わないと想定して、あっさりと先に進んでしまえばいい。
あっさり先に進めれば、過去に対してもあっさり出来るんだよね。
boxcox.net、遠藤武。