どこにも模範解答がないところに、
超ワガママとも言える本音から問題意識をぶち上げて、
確実に問題を問いていくことが、リベラルアーツ(教養)の本質だ。
現実解。
徹底的に学ぶ自由の面白さを、徹底的に噛み締めて味わう。
これは試験対策だけでは、絶対に成立しない。
知識を得ることも、
ロジカルシンキング(論理的思考)も、
クリティカルシンキング(懐疑的思考)も、
全ての道は教養に通じる。
たったそれだけで、99%の物事は解決できる。
もしこれだけで上手く行かないとすれば、
残り1%の「本音を認める勇気」の不足を認識しよう。
圧倒的に本音が足りていない状態だと、
全てが論理的かつ合理的に動いていると勘違いしてしまい、
運や縁や直感に全く手が届かなくなってしまう。
(これでは、今のところAIでは代替できない人間の能力を発揮できず、もったいない。)
堂々と間違えて、清々しく不足という事実を認めて、行動を変える。
これは一見、単純明快かつ論理的で合理的な「勉強」に見えるが、
実は「痛いっ!」「怖い…!」となるような本音から学ぶという、
厳然たる事実もそこに入りうる事実を、素直に認める必要があるのである。
「理詰めと懐疑心に、本音を掛け算する」だけで、自由度を引き出せる。
「自由度が足りないのなら、本音が足りていない」と、まずは素直に認めればいい。
たったそれだけの勇気で、物事が好転する自由を得られたなら、それは一生モノの自由だ。
そのとき勉強とは「教養のための手段のほんの1つ」に過ぎないと気付ければ、
更に自由に学ぶことができる。
boxcox.net、遠藤武。