そもそも、キャッシュがなければ全く動けない。
お金で心変わりするのではなく、
お金で主体的に動き方を作るのである。
現実解。
「キャッシュフローは愛」という表現を使う人がいる。
これは行動を前向きに支えるという意味であり、かつ偏愛すると人を殺めるという意味であると理解できる。
「お金がない」と感じるなら、それは単にお金がないことばかりにフォーカスし過ぎた偏愛であり、誰と何にどう使っていかにリターンできるかという座組みまで発想しきれていない点にある。
座組みが組めるとしたら、そこに何らかの依怙贔屓が加わる。
これはひとつの愛のかたちだと言っていい。
いっぽう、「嫌だな」と感じる人と一緒に動いても、座組みは上手く回らない。
かといって、誰かにおんぶにだっこという自立心のない状態や、誰かを強引に上から目線で従えるのでは、やりすぎの偏愛である。
この逆に、バランスよく愛が備われば、勇気づけられ、知恵と行動が出せるのである。
キャッシュフローは愛、という言葉の本質は、誰と何を依怙贔屓で実行して、どう掛け算していくかという成長の話なんだよね。
偏愛や目先の心変わりに終始するのは、常にその他大勢だと気づいておこう。
boxcox.net、遠藤武。