やりたいことを、ほんの少しずつずらして、
確実に大きく勝てるよう持ち込んでしまうことに尽きる。
正面突破で競争すると同時に、独自ルートを作るといい。
現実解。
まずは自分の実力を素直につけるために、徹底的に真似をする。
シンプルに言うと、すべての試験対策はこれに該当する。
これに加え、絵を描くにしても、楽器や声楽で上達するにしても、
実のところ基礎力とは、上手い人の徹底的な真似だ。
動画でも本でもいいから、上手い人を真似して、
基礎を得る以外にない。
「自分の味」は、基礎を得た上で醸し出していけばいい。
頭を使ったり考えたりするより、
真似をして考える材料を食べることが先なのである。
「やりたいこと」について書いているのに、
徹底的に真似をしろと書いているのは何故か。
発想が「やりたいこと」「本当にやりたいこと」だけでは、
物事が自分の頭の中だけで留まって、
広がりも深みも味わいもなく、
確実に競争に押し負けて先細るためだ。
「考えます」とついうっかり言ってしまう人に多数会って来ているが、
「考えます」はドングリの背比べに追い込まれることの始まりの合図である。
これは根本的には考えていないのと同じだ。
なんとなく「自分のやりたいこと」だけで発想がとどまると、
「考えます」という言葉が薄っぺらくなり、
異なる分野という道草で自分を照らす発想ができず、
結局は同業他社と同程度のドングリの背比べに追い込まれる。
本当に考えるのであれば、
真っ先に「真似をしながら考える」という、
材料調達が必要だ。
真似をするということは、本質的にどういうことか。
真似をする価値のある他人が、
材料としてそこにあるということである。
他人がいるということは、自分の頭の中だけで考えず、
他力を頼って成長していくということである。
材料がなければ、工場は稼働しないし、
あんパン1個も作れやしない。
逆に言えば、材料があれば、
確実に作ることができる。
これはパンをこねることであっても、
真似しながら考えることであっても同じだ。
ビジネスで言えば、異業界から真似てもいいし、
全く似ても似つかない異分野から真似てもいい。
たったそれだけで、仕事がはかどったり、
思わぬところから助けが得られたことなど、
私の一次情報でも、うまくいく人の一般論でも、
実のところ数限りないと断言していい。
真似るための材料がないのなら、それは考えていることにならない。
ここに腹落ちできれば、考えることと行動することが一致できる。
材料を真似することで、自分の思考を別角度から照らせば、
本当にやりたいことについて、
勝ちやすい立場という光明が見えるんだよね。
boxcox.net、遠藤武。