最も不安を感じるべきことは、
頭を使うことをやめ、
自分に実力が足りないために、
他人の実力を読めず、
自分は不安で行動できず、
今の人生を何も出来ずに死んでいくことだ。
「頭はそんなに良くなくても、自分は面白いアイディアを持っている」
自分の頭の可動域が小さく、
断片的に勝とうとする人は、
率直に言ってしまえば、
「アイディアを具体化して継続してやり抜く実力があるわけではない」
というケースが大多数を占めており、
大多数は実力不足である。
頭が良くなくて面白いアイディアを出す人は、
「それもっと上のレベルのことが本に書いてあったけど、読んだ上で言ってる?」
で会話が止まってしまう。
それどころか数年経ったら、
「あれ、こんなに退屈だったっけ?」
となってしまうのがせいぜいだ。
思考も行動も100%限定されてしまうのである。
人間は考える葦だと、
17世紀フランスの哲学者であるパスカルは言った。
人間はたいそう弱々しい葦だが、
考えることができるのであって、
頭を使うことが人間の特権なのである。
人間は弱々しいから不安になる。
であれば、弱さを認めた上で逆算し、
頭を使う以外に、人間が困難を突破する方法はない。
大多数の人間は、
頭を使い切る前に諦めて、
「自分は頭は悪いから」と、
誤魔化しにかかるのである。
これは何も「頭が悪いから」と言い出すことだけでなく、
「自分には経験がないから」などのように、
頭を使う仕事やピカピカの経歴の人が、
「物事はなんでも先験的に論理的に決まっている」
と思い込むことも含まれている。
これは実はもったいない。
本に書いてあることを徹底的に真似するのは、
実は科学的なやり方の基本とも言えるし、
ビジネスでベンチマークしていくことだとも言えるし、
リバースエンジニアリングの手前の段階だとも言える。
「自分には何もできない…将来が不安だ…」
そう思っておきながら、
多読乱読もしないというのは、
真似する軸がないことであり、
見本となる親代わりもいない状態だ。
「そりゃ不安になるしかないよ!」
とツッコミたくなってしまうのだが、
頭を使い切る前に諦めて、
単に指を加えて自分から不安を選ぶ人が、
大多数なのである。
真似する軸がないのなら、
日常の言語も学ぶことができない。
そりゃ不安になるしかないよね。
何も考えずに無意識に、
自分から不安を選ぶしかなくなる。
頭を使うとは真似するということなんだから、
ひたすら真似ぶ(学ぶ)しかないんだよね。
本当に不安を感じるべきことは、
真似して学んでいない状態だよ。
boxcox.net、遠藤武。