変われる人・変われない人。

daily6 人と技術と成長。

変われない人と変われる人がいる。

変われる人には、

「こうやってみました。更にどうすればいいですか?」

「こう思いました。具体的にどうすればいいですか?」

という、具体的な掘り下げがある。

 

現実解。

変わっていくには、

行動を具体的に変えるしかない。

具体的とは、

数字で測れる物事や、

自発的な疑問や質問があり、

動いた事実が過去形として残ったということである。

変われない人は、

具体性が全くないし、

疑問や質問が飛んでこない。

疑問や質問がないということは、

その場で足踏みしているだけである。

足踏みのエネルギーを、

半歩でも具体的に歩き出すことに使えばいい。

最初は不安があり、

だからこそ勇気が必要かもしれないが、

実は「足踏みのおかげで、足場は既に固まっていた」という、

過去形の事実が目の前にあることに気づける。

足踏みしつくして、足踏みを自認できるからこそ、

「本当にやるべきことは半歩動くことだ」

という踏み固めに生々しく気づけるのである。

生々しさとは、一番わかりやすい具体性に他ならない。

足踏みや現状維持している事実を愛でる形で、

ついうっかり半歩を誤って踏み出せばいい。

実はそれは正しい誤りであり、

最低最悪の誤答である、

現状意地の牢獄に比べたら、

どうということのない間違いだと、

笑って気づける。

 

ちなみに言っておくと、

足踏みして変われない人は、

そもそも変わる気がない人である。

変わる気がないから気づけないのだ。

そこから変われるか否かは、飽きっぽいか否かに過ぎない。

単純なことだが、飽きれば気づける。

変わるのが怖いのであれば、

怖さがあることを「正しい」と認めた上で、

飽きてバカバカしくなるまで意識的に足踏みするのも、また一興だ。

足踏みに飽きてしまえば、

怖さで理由をつけるまでもなく変われる。

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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