この言葉の本質は「いちいち執着しないこと」だ。
好き嫌いで判断して、執着しない決断をあっさり下せば、
依存心をなくすことができる。
現実解。
来る者拒まず、去る者追わずとは、
依存心を持たないことに他ならない。
「不安だらけで怖い…」も、
「裏切られた…」も、
全ては依存心である。
「不安だらけで怖い…」は、
命の危険や経済的危険や、
人権や人間の尊厳を傷つけられる状況が、
目先に差し迫っているならともかく、
そうでない状況においては、
不安と群れているだけだ。
要は、不安に依存し、執着しているのである。
好きの反対は無関心とは良く言ったものだが、
「裏切られた…」という言葉は、
無関心どころか関心だらけであり、
しかもその関心が裏切りという負の状態に集中し、
負の状態と群れて、理由付けを無意識で行っているのだ。
要は、恨みに依存し、執着しているのである。
「来る者拒まず、去る者追わず」で、
あっさりと執着せずにいれば、
依存せずに済むということだ。
これは何も、感情をなくせとか、
我慢しろと言いたいのではない。
むしろ逆である。
不安や恨みがあるのは、
人間が人間として機能するには必須の感情だ。
だからこそ、必須の感情を、
プラスに物事を運べる分野に使うのだ。
そもそも、物事をプラスに運べるような、
実力と人格を備えた人は少数派だ。
だからこそ、自分がほんの少しだけでもいいから、
はっと気づいて依存することをやめる、
たった一歩を踏み出すだけで、
世の中で十歩以上は抜きん出ることができるのである。
お気に入りのビジネス書を真似してもいいし、
かっこいい映画やマンガのキャラクターの真似でもいい。
「この人は普通とプラスの意味で違う」と、
周囲に思わせることができたら、大チャンスだ。
大多数がウンウン唸るなら、
少数派として真似してスッキリする側に立つほうが楽勝できるということだ。
そもそも大多数は、実力も魅力もある少数派を詳しく知ろうとすることすらしない。
映画も見ない、本も読まない、真似もしない、というもったいない状況を、
何も考えず自分で選び続けているのである。
そんな事実をチラ見するだけでも、
大多数が不安や恨みに依存してしまうと、
デイリーレポートを読む人ならピンと来るだろう。
圧倒的に勉強不足である事実を直視しないから、
不安や恨みが動物のように先行するのだ。
人間が人間として生きるなら、
本能とほどよく前向きに仲良くなり、
本能で萎縮することがないようにする必要がある。
「来る者拒まず、去る者追わず」とは、
当たり前すぎて気づきづらいけど、
あっさり前向きでいられるほうが得だよと、
教えてくれている言葉なんだよね。
boxcox.net、遠藤武。