「自分を超えて、親友目線で見る」ことだ。
自分で自分を見ることで粗探しするのではなく、
自分で自分に語りかけ、改造すべく動かすのである。
メタ的に見ることを、
自分の粗探しばっかりで、
自分を虐めることにしてしまいがちだ。
しかし、自分で自分の悪いところがわかる人は、
自分で自分の弱点を直視する準備がある人だ。
「弱点がわかっていても、自分は動けない。なんて自分はダメなんだ…」
そう思う人は、
ダメな自分と親友になればいい。
ダメな自分と親友になることで、
あけすけに「これはダメだよね」と言うだけでなく、
「これは良いところなんだから認めなきゃ」とも、
ストレートに言ってやれるのだ。
他人目線かつ上から余裕を持って眺め下ろすからこそ、
親友のように厳しい言葉も素直に聞けるし、
親友のように欲しかった言葉を優しく語りかけることで、
自分を認めてやれるのである。
メタ的に見ることのメリットは、
自分自身の事実を直視して、
良い事実は飛び切り良く認め、
悪い事実は飛び切り素直に認め、
どちらも成長の糧とすることにある。
つい自罰してしまう人は
「実は強烈な親友目線で見ているんだよね」
と気楽に思っておけばいい。
幼少期の親友との始まりは、決まっていつもケンカだ。
興味があって仕方ないけれど、
それを伝えたくてたまらないから、
不器用にもケンカしてしまうのだ。
そう捉え直すと、
不器用で自罰してしまう自分に、
どこか幼い可愛げを感じてはこないだろうか。
自分に悪態づく感性を、
「自罰ちゃん」とか、
「不安くん」とか、
マスコットのように呼んでもいい。
マスコット呼びすることそのものも、
メタ的に捉え直すことの一つだよ。
このように見返すことで、
自分自身に可愛げが見えたら、
今まで見落としていた自分に出会える。
これはメタ的に見ることの威力であり、
自分と親友になることの入り口であり、
自分を好きになるための道のりだよ。
boxcox.net、遠藤武。