不安がある…だからグルグル迷って何もしない。
不安がある…よし、さっさと行動しよう。
この2つは単に選択の問題であって、不安そのものは大した理由ではない。
不安があって何もしないのは、
不安であることを「お!いい理由見つけた!やーめた!」と、
わかりやすい目先の合理化に使っているのである。
これもまた人間の本能だと認めるほかないが、
本能の通りにのみ生きると、
頭脳をお留守にしてしまい、
人間として堕ちていく他ない。
だからこそ不安が不安を呼ぶのだ。
常識に気を取られたり、
猜疑心が強かったり、
コンプレックスが強い人は、
頭脳を鍛えることがお留守になっているために、
不安しか表現方法を知らないのである。
不安があっても、不安に駆られて行動する人がいるのは、
危機感を見出して、変わることで身を守る、
そのような頭脳の鍛え方をしてきているためだ。
本能とは素直に付き合って、
頭脳を生かせるように行動を変える必要がある。
頭脳派と言われるはずの研究職や難関資格職であっても、
自分のアイデンティティが一つしかない場合は、
本質的には「知識回収」をしているだけで、
頭脳プレーができていないことになる。
このような場合は、
ついつい不安に駆られて、
同じところを堂々巡りすることが多い。
同じことが猜疑心が強くて頭の悪い、
ありきたりな独裁者とか、
ギラついた威嚇ファッションの成り上がり者でも、
起こっていると言える。
これは他の世界を知らないために、
不安を必須で隠すことで、
「頭隠して尻隠さず」として起こっていることだ。
見る人が見ればバレバレなんだよね。
不安を、新しく行動する理由にするだけで、
この堂々巡りは崩せるよ。
言葉遣いを変えてもいいし、
普段話さない人と話してもいい。
前に話した人ともう一度話してもいい。
普段読まなかった本を読んでもいい。
変化を起こすことでしか、
不安をプラスに使えないのだから、
何も気にせず行動しなくちゃ。
いちいち不安で行動しないほど、
大多数は実績を残していないでしょ?
実績があっても不安があるなら、満足していないんでしょ?
だったら行動しないでどうするのさ。
不安の解釈を変えることも、
行動のうちなんだから、
立派な行動なんだよね。
願わくば、行動の数が、
倍や10倍になりますように。
願掛けも、行動のうちだものね。
boxcox.net、遠藤武。