データを網羅するからこそ、統計学は強い。
「中途半端なものは、網羅がなく中途半端」とそもそもバレる。
これは実力不足が一発で露呈することと同じだ。
現実解。
データ分析が流行れば流行るほど、
データ分析と同じ発想や解釈で、
データの網羅性や、
サンプルの有意性を吟味することで、
今までデータがなかったゆえに隠れていた事実と、
人間の側が向き合う必要が出てくる。
実力と関係ない年功序列では、実力不足が即バレる。
人材市場全体を網羅してしまえば、
比較した結果、実力不足が一発で分かるためだ。
実力不足を誤魔化して、
グレーな演出をしているだけの人は、
真っ先に「こいつは実力不足だな」とバレて、
あっさり切られていくことになる。
中間管理職にせよ、
サラリーマン経営者にせよ、
資格職にせよ、
客先と向き合っていない人や、
勉強不足な人から、
真っ先にパフォーマンスがバレるのだ。
手品でもなんでもなく、
ただただ実力不足が露呈し、
醜い言い訳ばかりが先行していくことになる。
実力不足とは、
勉強不足であり、行動不足ということだ。
パフォーマンスを出すべき領域で、
その人が実力を発揮できていないということになる。
いま流行りのHRテックの考え方は、
このように活用できてしまうため、
グレーゾーンで済んでいた部分が、
思いっきりバレることになるのだ。
統計学は、単にデータを根拠にして物事を決める手段ではなく、
その網羅性が、実情を極めて冷徹に暴いてしまう。
データドリブンを喜ぶ人でも、
実力があるように見せかけているだけの人は、
この事実から素直に実力をつけることに徹しよう。
勉強が行き着くところは、網羅性なのだから。
boxcox.net、遠藤武。