統計学と網羅の使いみち。

daily6 人と技術と成長。

データを網羅するからこそ、統計学は強い。

「中途半端なものは、網羅がなく中途半端」とそもそもバレる。

これは実力不足が一発で露呈することと同じだ。

 

現実解。

データ分析が流行れば流行るほど、

データ分析と同じ発想や解釈で、

データの網羅性や、

サンプルの有意性を吟味することで、

今までデータがなかったゆえに隠れていた事実と、

人間の側が向き合う必要が出てくる。

 

実力と関係ない年功序列では、実力不足が即バレる。

人材市場全体を網羅してしまえば、

比較した結果、実力不足が一発で分かるためだ。

実力不足を誤魔化して、

グレーな演出をしているだけの人は、

真っ先に「こいつは実力不足だな」とバレて、

あっさり切られていくことになる。

中間管理職にせよ、

サラリーマン経営者にせよ、

資格職にせよ、

客先と向き合っていない人や、

勉強不足な人から、

真っ先にパフォーマンスがバレるのだ。

手品でもなんでもなく、

ただただ実力不足が露呈し、

醜い言い訳ばかりが先行していくことになる。

実力不足とは、

勉強不足であり、行動不足ということだ。

パフォーマンスを出すべき領域で、

その人が実力を発揮できていないということになる。

いま流行りのHRテックの考え方は、

このように活用できてしまうため、

グレーゾーンで済んでいた部分が、

思いっきりバレることになるのだ。

 

統計学は、単にデータを根拠にして物事を決める手段ではなく、

その網羅性が、実情を極めて冷徹に暴いてしまう。

データドリブンを喜ぶ人でも、

実力があるように見せかけているだけの人は、

この事実から素直に実力をつけることに徹しよう。

勉強が行き着くところは、網羅性なのだから。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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