大多数の人が気にも留めないことを、
「これは実は不快だ」「こうしたほうが実は快適だ」
と素直な感受性で捉え直せるのは、成長している証拠だ。
ストレートに言えば、超がつくほど敏感な人ほど、
成長し続けているのである。
「違いがわかる人」とでも言えばいいだろう。
特に、経済的に成長すると、人やモノが密集している空間や、
行列させられる空間は、近づきたくなくなる。
密集している空間とは、どこか殺気だってイラついているためだ。
バーゲンセールの空間で、安売り品を取り合いする状況を想像してもらえばわかりやすい。
我先に安売りシールの貼ってある商品を取り合いする人が、
明日もその次の日も継続的に成長している姿は、想像したくとも難しい。
立ち居振る舞いは悪いまま変わらず、目先の欲望のままに動くのがオチだろう。
もしあなたが敏感なら、そのような空間に関わらないことだ。
物理的に広々とした空間を取ることで、
精神的にも自分の空間で没頭できるのである。
敏感な人ほど、物理的にも精神的にも余裕や余白を取って、
自分に有利な土俵を作るのである。
ひとつ注意してほしいことがある。
あなたが超敏感だとしても、いちいち怒りに逃げないことだ。
いちいち怒りをあらわにするのは、ただの小物であり、信用を失う原因である。
怒りは、知性と行動という余白で逸らすものであって、
それは一休さんのような頓知やジョークかもしれないし、
心理学や行動分析学や認知科学かもしれないし、
単に怒りを誘う空間や人とは縁を切ることかもしれない。
成長が阻害され、誰からも相手にされない人になりかねない。
寛容でありながらも、
敏感さに素直になるというのは一見矛盾している。
矛盾を乗り越えるからこそ、継続的に成長できるのである。
寛容で「許す側」に立つのは、
余裕や余白を意識的に取って、
自分の感受性を大事にするという好循環なんだよね。
boxcox.net、遠藤武。