気が合う人・合わない人の決まり方。

daily6 人と技術と成長。

実力の順に、気が合う・気が合わないが決まる。

いやらしい言い方をすれば、年収や職業や学歴で、

社会の階層が明確に分かれているのだ。

 

似たような仕事をしていても、

年収や学歴が異なれば、

まったく接点を持つことはない。

そこには、特定の階層が存在し、

何もしなければ、ムラ社会のように、

ずっと同じ階層の壁の中にとどまるだけだ。

 

もしいまいる集団で「自分は気が合わない!」と感じるなら、

この壁を壊す以外にない。

そのためには、いま自分がいる立ち位置を、

愚直にレベル上げしていくしかないのである。

 

わかりやすい壁として、

もし学歴にコンプレックスを抱えたまま、

3040代や50代を過ごしたなら、

改めて大学や大学院に入り直して学べばいい。

あるいは、中学高校の歴史を学び直したり、

学びたい分野をカバーしたマンガを読んでもいい。

 

平均寿命が伸びているからこそ、

「中高生のとき、外国語や数学がからきしダメだったから、学び直す」

という選択肢を、60代から選ぶことで、まず凄みが出る。

不器用過ぎて1020代で学ぶことに失敗した人は、

不器用さを素直に認めて、疑う方法を知ると、

実はどんな年齢になっても伸びしろが出来るのだ。

 

無知である事実を知ることで、

本当の意味での知性に近づけることを示した考え方は、

古代ギリシアの哲学者ソクラテスの「無知の知」である。

これは全ての学問どころか、全ての考え方や、

人生訓や処世術の根源だと言い切って構わないくらいの、

戦略的な視点である。

愚直で素直に「知らないこと」を認める行動を誘うからだ。

「知らないこと」を認めれば、

少なくとも頑固になることはないし、

ちょっとした言葉や文化や視点の違いにも、

いちいちイライラせずに「そもそも知らないことだ」と淡々と対処できる。

哲学という言葉はどことなく仰々しくて、

「自分には関係ないや」という壁を感じる響きがあるかもしれないが、

それは人間の原理原則に触れるからこそ、

多くの人が「すごい!」と感じたという事実を反映しているのだ。

哲学そのものが仰々しいのではなく、

古代ギリシアの哲学に触れた現代までの人間が、

いろいろな分野で無意識のうちに崇めているという事実に他ならないのである。

そんな仰々しいことよりも、

「これって知っていたら、階層が変わって役立つかも?」

と思って知るくらいでも、まったく構わないのである。

 

特定のキャリアしか知らずに40代を超えたら、

今までの仕事に凝り固まり、頑固者扱いされ、

物事を素直に認めることなど、

ままならないかもしれない。

あるいは不器用なせいで過去の失敗を引きずり、

「しょせん世の中などこんなもの」

「周りは無能ばっかりで退屈だ」

「自分の人生はこんなはずじゃなかった」

とやさぐれてしまい、分かったフリをしているかもしれない。

こんなときこそ、ほんの一滴だけでいいから勇気を振り絞って、

本を読むなり、別な分野を真似するだけで、

アタマの頑固さがほぐれていくことも、また事実だ。

これは、カラダに対するストレッチやマッサージで、コリがほぐれるのと同じである。

 

気が合う人・合わない人について、

階層の壁を壊し、気が合う人に囲まれてステージを変えるには、

自分の不器用さを素直に認めて、

愚直に行動するしかないのである。

 

ちなみに言っておくと、

大多数は素直に認めようとしないから、

実は素直になるだけで、少数派に立てる大チャンスがある。

この事実を知っておくだけでも、壁を壊して行けると断言して構わない。

 

boxcox.net、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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