オリジナリティとは、模範解答とボケ解答の掛け算である。
どんなに優れた人でも、模範解答を追い求めすぎると、
「それはあくまで通り一遍の話でしょ?」
と思われて飽きられる。
それを防ぐには、模範解答を知った上で、
1滴のボケ解答を混ぜ込めばいい。
本来の模範解答と関係ないけれど、
目の前で話を聞く人が、
ピン!と来るような話題と結びつけてみればいい。
営業で送るハガキを「大好きな人を思い遣るラブレター」になぞらえたり、
風邪のウイルス感染の過程を「部屋でおならをしたときのニオイ」になぞらえたり、
短くて直感的なほど、伝わりやすいボケ方である。
単なる例え話と違うのは、
少しだけ「クスッ」としたりと、
感情を揺さぶられる点にある。
仮に、したり顔で例え話をひろげても、
それが聞き手にとってあくびが出るのであれば、
その例え話は、小学校の校長先生が朝礼で繰り返すような、
通り一遍の退屈な模範解答だ。
本音丸出しにしてしまうと、
通り一遍とはうわべや建前であり、
退屈なので聞き手の記憶に残らない。
記憶に残らなければ、
脳内に広がる情報の空間に残らない。
ということは、退屈な話とは、オリジナリティ以前に、
存在することすら許されないという、
非常に厳しい処遇を無意識で受けてしまうのである。
存在すら許されないということは、
文字通り門前払いであり、
人間関係で言えば友達になるどころか、
道端で見かけた危ない人扱いされるのと同じで、
完全になかったことにされてしまうのだ。
通り一遍の「模範解答」「例え話」が、
良かれと思ってなんとなくやっていたら、
どれだけ危ないことになるかお気づき頂けただろうか。
もちろん、決して模範解答が悪いわけではない。
模範解答力の不足は、ボケ以前の、実力不足だ。
重要なのは、模範解答が実力として備わっているなら、
思い切って「実力があるからこそできるボケ」をかますことだ。
実力がないのに例え話を繰り返す人だけではただの痛い人だが、
実力があるからこそ1滴だけ緩さを演出することは、
実力がある人がリーダーシップを発揮する上で、絶対にやるべき義務だと言っていい。
1滴のボケ解答で、周りにいる人が目を輝かせて話を聞き入るとしたら、
実力が更にオリジナリティとして成長できる機会だと断言できるのだから。
boxcox.net、遠藤武。