まずハードウェアについて。
その歴史は無線通信(アマチュア無線)やコンピュータ自作やゲーム機から始まり、
そのご近所のパソコン通信・インターネットと結びつく。
お金がまったくないガレージでのオタク的な製作が、
ウェブでの表現やビジネスにまでシンプルに広がった。
ここには本音があり、自然発生した物事にお金がついてきたことになる。
対して、金融商品について。
1637年オランダのチューリップバブルに始まり、
1720年イギリスの南海泡沫事件から会計監査制度が整備された。
これらは資本や金融商品や市況という、
ハードが目に見えない概念と価値で自己完結している点が、
ガレージから始まったハードウェアやウェブの進化と根本的に異なる。
シンプルに言えば、ブロックチェーン技術を用いた暗号通貨(仮想通貨)やNFTは、金融商品のひとつである。
よくわからない人のために極論で言うと、
「FX(外国為替証拠金取引)や株式の相場に、アート作品値付け機能が付いたものが、NFTである」
と圧縮して書くことができる。
私は仕事として、市場予測(市場における需要と価格の予測)や、
1件の価額が数10億円〜数100億円のアセットファイナンスに関わってきたが、
いずれも規模が大きい割にはかなりニッチな分野である。
ゆえに金融商品は実際のところ、
大多数の人にとっては限定的にしか触れる必要がない。
圧倒的多数からすれば、株式や商品市況も市場にも、
キャッシュフロー分析を伴うファイナンス案件にも縁遠く、
大多数が関わる金融商品はクレジットカードや年金・保険や住宅ローンや、
積み立て金融商品どまりというのが実情だろう。
金融業界は商業銀行でも保険でも投資銀行でも、
お金と経済合理性だけが先行してしまう。
ゆえに抽象化すると、
何度も見たような資金調達手法や、
「この新概念って要は金融商品でしょ」という物事に、
マーケティングを仕掛けてお金を投じるにとどまっているのが関の山だ。
現状では「市場参加者が限られてしまうゆえに、本音が限定的で、思いのほかありきたりな分野」なのである。
対比しよう。
よく1970年代からのコンピュータ発展と暗号通貨が比較され、
「流行っているから流行る!」と熱く語るケースが数多く見られるが、
70年代のコンピュータはギークやナード(=いわゆるオタク)向けの極めて限られた競技種目であり、
またお金がなくても「面白そう!」だけで出来てしまう分野だった。
古くは「ネクラ」、今では「隠キャ」向けの趣味であり、
根本的に「お金がなくてもつい実行してしまう」「お金がない中どうやればいいか」という点が全く異なる。
これが大局の異なる点である。
現今ではおそらく暗号通貨の市場参加者が、
「お金がなくてもできた」という大局の違いを捉え切れておらず、
アイデンティティ面でインフレーションを起こしている可能性が高い。
とはいえ批判をしたいのではなく、
Web3(特定の大手企業や国家に依らない個人への権力分散)という、
暗号通貨に付帯した「考え方」は100%頷ける。
例えば、本来必要な金融商品すら整備されていない発展途上国での活用など、
国家や企業やコミュニティの枠組みではもはや限界となる問題の解決に役立つ。
このほか、教科書的でありきたりな役立ちを無視してストレートに書くと、
「本音を現実にする」という、
かつてのギークやナードたちがワクワクして動いてきたことが、
そのまま循環していると言い切っていい。
現実解。
アイデンティティインフレーションが落ち着くころ、
大盛り上がりしている既存の関係者とは全く異なるところから、
それらを自前で活用する人がふと出てくるまでが、
実際の一連の流れ。
boxcox.net、遠藤武。