オープンイノベーションという言葉や、
オープンソースという概念が浸透している。
オープンイノベーションとはいわば、
偶然さえも価値にする超プラス思考のことだ。
これがどういう意味かというと、
単なるノウハウそのものの価値はゼロになり、
オープンから動く個人のチカラが重要になったということだ。
例えば、
一度でも対外的に出している資料について、
いちいちもっともらしい理由をつけて、
「これは〇〇なのでお出しするのは難しいです。。」
と言い出すのはサラリーマンだけに許された特権だ。
昭和や平成までの古い行いに過ぎない。
対外的に部門ごとの垣根を用意する価値は、
ゼロどころかマイナスになったということだ。
だいいち、ノウハウを隠す組織は、
そもそも大したことをしていない。
データ分析のツールであれ、
自称コンサルであれ、
ノウハウを隠したところで無駄な抵抗だ。
ビジネスで使う資料ごときのノウハウやアイディアは、
全て世界のどこかに別解がある。
論文や書籍や、異分野の成功事例の再構成に過ぎない。
これはインプットを徹底して、
アウトプットの精度を高めていけば、
近似やリバースエンジニアリングできてしまう。
少し頭が回ればいくらでも可能だ。
「いいや、それじゃ不十分だ!」
大真面目な人はそう即答するかもしれないが、
仮に全く同一のものがあっても、
自力で使いこなすせなければ意味がない。
要は一を聞いて十を知り、
百も万も億も兆も京も想像し、
1本の木から新たな森を創るのである。
オープンになっていると、
木が森に化けていく確率がグッと上がる。
「論文として公開する」という動作も、
学術雑誌が初めて作られたとされる1665年フランスに遡る。
コソコソと隠すより、
堂々と一本の木を植えるがごとく、
一本の文章や論文を公開したほうが、
それこそ森ができるより速く、
名誉も進歩も広がると気づいたためだ。
現実解。
令和の今は「個人の時代」と言われる。
これは一本の文章や動画や作品が、
今まで言語化されていなかった物事として、
渇きを満たしているからなんだよね。
boxcox.net、遠藤武。