評価や学生の性質が大きく異なってしまうボーダーラインがある。
その線上にいる大学群が、地方国立大学(都市圏の中小規模国立大学含む)とMARCH関関同立レベル。
それ未満だと、客観的な評価や、そもそもの大学内の強みが明確に区別される。
学内の奨学金や、学費免除や、奨学融資(教育ローン)の充実ぶりが、全く異なってくるのである。
事実、このボーダーラインを超えれば超えるほど、研究者や上級公務員や有名企業にポストを得たり、あるいは転職を重ねてキャリアビルダーになったり、あっさり独立してしまえる基礎があることが顕著となる。要は、その領域への投資が可能ということだ。
このボーダーを下回ると、大学を卒業しても「それって本当に大卒でやるような仕事??」という職を転々として、待遇の悪い状況から抜け出せない人が一気に増えてしまう。ボーダーから下方向に離れれば離れるほど、「月収20万円程度。大卒の恩恵ゼロ。奨学金も返せない」という層が増えていくしかなくなる。
学歴に対する投資効果で一番重要なのは「自分から行動するための知識と社会的評価に裏打ちされた、知的自由」だ。この事実は、強調してもしすぎることはない。
知的自由の多寡が、奨学金の充実にそのまま反映してしまうんだよね。