「教育格差」の疑い方

daily0 本音たち。

「私服OK、髪をどんな色にしてもOK。自由があるからこそ自主と自律の学びがある」んだよね。

そもそも、すべての教育現場で安全が確保されない限りは、自由なんてありえないし、格差なんてなくなりようがない。

郊外の公立の小中学校にいた人なら、きっとよくわかると思うけど、
「なんでこんなチンピラみたいな層と一緒にいなくちゃならないんだろう」
と思ったことが少なからずあるはずだ。

自由の有無が生じてしまっている事実と向き合わず、
「新しくオンラインで学校を作った」
とか、
「格差をなくせ」
という発想は絵空事だ。

どう頑張っても、既存の価値観の拡大再生産からまだまだ抜け出せない。
教育は誰でも経験しているぶん、仕組みを作る側が学習不足という状況のまま話し続けることが出来てしまう、危険な特徴がある。
教育の知識格差や、教育における自由の感度のなさこそ、実はまず改善すべき格差なんだよね。
遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。

↑詳しい自己紹介は上記リンクを参照。

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