自己主張することそのものには、実はあまり意味がない。
自己主張の先に、人の動きを感じ取るからこそ、自己主張は面白くて意味があるのである。
ここで言う人の動きとは、ファンが増えて売上や利益の増加につながることもしれないし、自分の精神的な安寧かもしれないし、世紀の大発見を残すことかもしれないし、別角度から光を当てて物事を照らして案内することかもしれない。
少々残念な自己主張とは、自己主張した先での人の動きを、丁寧に感じ取らない状態である。
自己主張そのものが自己目的化してしまうと、単なる不快な放言に終始しかねない。
要は、退屈な主張というものは、人情の機微を大事にしていないのである。
そうではなく、人情の機微を大事にできるからこそ、自分の自己主張を懐疑・反省できる。人の自己主張を聞くことも懐疑することもできる。自己主張する際に、先を見据えておき、他者の自己主張も包み込む。これだけで、丁寧なコミュニケーションが作れるのである。
現実解。
つい先刻のことを「間違えた!」と反省し、
即時その場で心新たに行動することも可能なんだよね。
..遠藤武