「あらゆる人が各人の得意技を発揮し、あらゆる形態で幸福に生きられると良い」
大枠でそう述べている文筆家や科学者が、既に10年ほど前に複数存在している。
この行き着く先として、「人間にしかできないこと」の価値が高くなるのだ。
仮に、人間を人間たらしめる知性や行動や好奇心や、
あるいは「作り手」という立場だけに可能な得意技が、
貨幣より強い立場になったとしよう。
このとき、経済そのものの価値(=お金だけ持っているVCや金融機関の価値や、経済を論じる経済学の価値)は、
他分野に値札をつけて論評するだけとバレてしまい「それって実は何も作れず価値が薄いのでは?」という疑いに至ってしまう。
プログラミングを扱うコンピュータサイエンスが台頭し、データ分析やAIが当たり前になったことで、
かえってモノを作ることが仕組み化しやすくなり、ドメイン知識にこそ価値があると着目されているのが実情だ。
ドメイン知識とは、マニアックな現場の知識であったり、職人技が該当する。
これをコンピュータサイエンスとハードウェアのチカラで強化していくとなれば、
「作り手」にはなれない経済の話はどうしても限界が残る。
例外は、DXやコンピュータサイエンスともともと密接に関わる、経営工学としての会計学の話題くらいだ。
現に、今をときめく経済学の泰斗が「影響力がウェブより弱いからアカデミアをやめる」と決断して話題になっているが、
これは「いくら研究費をもらってインパクトを出しても『作り手』として限界がある」という事実の現れに他ならない。
逆に言えば作り手側の場合、あっさりと先の道筋が見つかるケースが増えた。
現実解。
優秀なオペレーターにならずに、ちゃんと「作り手」になること。
常識的な直感の真逆をとること。
それだけで道が開けるケースは少なくない。
ボックスコックスネット、遠藤武。