人の嫌がることをしない。New

daily15 審美眼。

人の嫌がることをしない人は、生き残れる。

相手を理解し、かつ世の中の基礎を知っているため、

暴言のような失言から無縁になるためだ。

 

これと逆で、無意識だろうとそうでなかろうと、

人の嫌がることを言い出す人が生き残れないのは、

無意識のうちに敵を作ってしまうからだと覚えておこう。

特に、自分で良かれと思ってやったことが、

実は相手が欲しておらず、

それどころか嫌がらせとして機能してしまった場合、

真っ先に自分の基礎不足を疑う以外にない。

まともな頭をしていれば、基礎不足の人など絶対に関わり合いになりたくない。

そんな基礎不足に「それは間違いだよ」と答えてくれるケースもあるかもしれないが、

基礎不足の人に限って「良くしてやったのに何を言ってるんだ!」と逆ギレする。

こうなってはもう終わりだ。

 

基礎不足は、切り離しの対象として衰退し、

基礎不足を切り離した人は、栄える。

これが原理原則だ。

「良かれと思ってやった」は最低最悪の曲者であり、

「良かれと思ってやった」が言い訳出るうちは基礎不足である。

本当に「良かれと思ってやる」なら、

相手の思考に先回りして、

「こういうシナリオでやるけど、ok?」

聞くことが必須だ。

常識を守ることではなく、非常識に価値を出す攻め方が全てである。

要は勝手に思い込みで動かず、

相手にとって都合のいい格上げ場面を作る黒子に徹するのだ。

これができる人は愛される。

圧倒的に少数派だから。

これができない人は無視される。

明らかに普通の子で退屈だから。

 

人が嫌がることをしないとは、

人を心底喜ばせて安心することであり、

あきらかに普通のことではないため、

文字通り有難い存在なのだ。

本義的なエンジェル投資であり、

依怙贔屓のカタマリだ。

 

こういうスタンスで本音で会話して、

良いものは良い、嫌だから嫌、非常識に直言できる…、

という密談ができれば、誰でもついつい、

感動してメロメロになっちゃうものね。

 

現実解。

相手軸で生きることができ、

その行動に当然に自分軸も込められていると、

その人は自ずと生き延びて成長する。

なぜって、本音を出しても嫌がられる要素がないから、最強だもの。

 

追記。

本音を出し合える相手は、そう多くはならない。

実力が一定水準以上の場合、非常識で失礼なことも隠さずに言い切ったり、実行できる必要があるためだ。

なぜって、「これは嫌だ」から逆算して「これは素晴らしい!」で埋め尽くせば、総合的にみて勝率が上がるためである。

いちいち聖域で隠さず、頭脳プレーしあって価値を出しあえる関係は、

嫌なことをしないが非常識であり、実力の証なのだ。

ボックスコックスネット、遠藤武。

遠藤武(えんどう・たける)
グロースハッカー。
endoutakeru

↑↑↑
詳細は上記リンクを参照
↑↑↑

■遠藤武のやっていること■

・社長向けに「仕組み化」のプライベートアドバイザリーを手がけています。

・中央経済社『旬刊経理情報』誌にて「仕組み化とデータ分析」の見開き2ページ連載記事を、2022年7月より月2〜3回ペースで執筆しています。
(2025年7月に70回を超え、同誌における単独連載回数の記録を更新中。書籍発売予定)

boxcox.netを講読する
タイトルとURLをコピーしました